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2010年11月 7日 (日)

「天鳳」はどこへ行った?

  数日前の夜、「天鳳」のラーメンを食べようと、ひとりで六本木に出かけた。ガソリンスタンドを過ぎて、目的の雑居ビルを探すのだが、見当たらない!

「天鳳」が見当たらないのではない。ビルごと見当たらないのだ。それどころかあたり一面のビルが取り壊されて更地になってしまっているではいか。

    いつかこういうことになるだろうことは、六本木ミッドタウンのお披露目の日に、道路を挟んだ向こう側に雑然と並ぶビルを眺めながら感じていた。お城の前にスラムが並んでいるようなものだから、いずれ、どこかの金のある奴が金儲けの為に「スラム」を撲滅するだろうと。

    30年ほど前、毎晩のように六本木に出撃していたことがあった。いったいどの暇にそんなことをしていたのかよく思い出せない。いったい誰がどうやって金を工面していたのかもよく分らない。

    よくわからないけれど、毎晩パブ・カーディナルで晩飯を食い、「ボーブランメル」や「オードヴィ」に出かけては飲めないお酒を飲んでいた。時には「クラブB」や「ネペンタ」や「玉椿」にも出かけた。

    夜中の12時を過ぎる頃、さすがに腹が減ってきて、「広州小食」で「コワンメン(素ラーメンですね)」や「カレーライス」を食べ、「大八」や「天鳳」でラーメンを食べていたのだ。今では「大八」を除いてすべての店が消えた。なんだか、青春時代の思い出が消失してしまったような淋しさがある。

「天鳳」の思い出を書く。この店のことを知ったのは1980年に発売された「BRUTUS」の小さなコラムでだ。「札幌のラーメン横丁」の店が東京に店を出した。頑固一徹なおやじが一人で店を切り盛りしていると、あった。

  面白そうなのですぐに出かけた。メニューは木簡のような木の札に書かれて壁にかかっていた。「めんばり」、「醤油」、「味噌」。そしてその横に一から六まで数字が書かれた札が並ぶ。数字の下には「一、麺硬く」「二、麺柔らかく」「三、しょっぱく」「四、薄味」「五、脂こっく」「六、さっぱり味」というような意味のことが書かれていた。

「めんばり」というのは「麺がバリバリに硬い」というしろもの。かの有名な西山製麺の麺を空輸して供していたが、それをさっと湯がいただけで出していた。だから、分量がはなはだ少ない。ラーメンどんぶりの底のほうにお茶碗1杯分くらいの麺があるだけなのである。

  だから、すぐに食べ終える。当然、なんだか物足らない。なので、ある日の夜、「おやじさん、メンバリもう一杯」と頼んでみた。すると、ごま塩頭の頑固そうな親父は「馬鹿野郎、こんなもの2杯も食う奴があるか!」と取り合ってくれない。「胃の中で膨らむから2杯は食っちゃいけない」というのである。

  仕方がないので、餃子を注文した覚えがある。先に書いた一から六までの数字だが、「二、四、六」と頼もうものなら親父は激昂した。「麺柔らかく、薄味で、脂少なめ」という意味だが、「そんなものはうちでは出さねえ」と取り付く島もない。

  早い話が「一、三、五」しか許してはくれないのである。だったら、紛らわしいから「二」「四」「六」は壁に掲げないで欲しいと思うのだが、最後までかかっていた。

    このオヤジにはよく怒られた。「メシ」を頼むと小皿に乗った黄色い沢庵が二切れついてきた。あまりうまいので、「おやじさん、沢庵だけおかわり」と頼んだら「うちでは沢庵だけは出していない!」と怒鳴られた。こちっも若かったから「よーし、分った。メシ大盛り!」と頼んで、大盛りメシには手をつけず、沢庵だけ食べたこともあった。

    そのオヤジも数年前に亡くなり、多分その息子さんと思しきオヤジが切り盛りしていた。「ドラム缶ラーメン 天鳳」。30年間に染み込んだ脂で床がキュルキュルと滑った。愛想のない店で、入口のラジカセからいつもラジオ放送が流れていた。その店の臭いやたたずまいはもう、自分の脳みその中にしか存在しなくなってしまった。

  飯倉のアクシスビルのそばの雑居ビル(今はもうない。多分、今は駐車場になってしまっている?)の5階(だったと思うが)に、カウンターと大テーブルだけの酒場があった。その名前は「EAU DE  VIE」。キミちゃんという、同い年のママが我々のアイドルで、会社の先輩後輩うちそろって、ほぼ毎日顔を見に来ていた。

  さるレコード会社の社長はいつもカウンターに座っていたし、さるオピニオン誌の編集長(現)も常連だったし、いまでは関西を中心にTVのコメンテーターをつとめる後輩は彼女ができると決まってこの店に案内していた。

  キミちゃんは、「天鳳」が入っていた雑居ビルの2階にも「アマポーラ」というカウンターだけの小さな店を出していた。そこにも我々は通った。カウンターの中には女子大生がアルバイトで入っていて、気に入ったおんなの子を見つけてはなんだかんだと話しかけたものだった。

  それから数十年が過ぎ去り、ある日あるとき、「VOGUE nippon」で働いているある女性と話をしていたら、その彼女が「アマポーラ」のカウンターの中の女子大生だったことが判明してひどく驚いたことがある。

  六本木にまつわる思い出は多い。「なんとなくクリスタル」を上梓したばかりの田中康夫くんとふたりで、六本木の交差点で、かわいい女の子にかたぱっしから「ねえ、一緒に飲みに行かない」と声をかけまくったこともあれば、「ハンバーガーイン」の傍の路上でローレン・バコール(本物ですよ)と大喧嘩した思い出もある。

  でも、それは話が長くなるからまたの機会に。

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コメント

久しぶりにコメントいたします。
勤務地が六本木ゆえ、タイトルを読んで先ほど足を運んでみました。店は健在でした。ただ、ビルの正面が奥にひっこんだ印象で、例のドラム缶は、以前の歩道に鎮座ましまして…というよりも、ずいぶんと控えめに見えました。

六本木勤務歴は10年と若輩者ですが、天鳳の1・3・5&半ライス(ランチタイムの半ライスは現在有料になったとか)にはずいぶん世話になりました。過去形なのは、いまダイエット中だからです。ここ三ヶ月は食べていません。次は「天鳳で食おうが簡単には太らない肉体」めざして頑張りたいと思います。

「ハンバーガー・イン(これも閉店してしまいましたが)傍の路上」の物語も楽しみにしております!

投稿: クランツ | 2010年11月 8日 (月) 14時20分

え、まだ天鳳ありましたか!
では、私がぼーっとして見逃していたんですね。
お恥ずかしい。天鳳歴30年の私としては
とてもショックだったんですが、存在が確認できて
嬉しい限りです。
さっそく今週、行ってみます。
ありがとうございました。

投稿: クランツさまへ 路傍より | 2010年11月 8日 (月) 14時40分

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