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2010年12月

2010年12月19日 (日)

真鍋昌平は、ただ者ではない

   真鍋昌平のマンガ、「闇金ウシジマくん」全20巻を読んでドギモを抜かれた話は11月に書いた。
http://kingkingko.cocolog-nifty.com/blog/2010/11/post.html

   勧善懲悪のマンガを読みなれていると、「欲望を制御できない人々が招来する絶望的な現実」という、どうしようもなく救い難い話を読み続ける作業は、とても娯楽と呼べるようなものではない。ほとんど、苦役に近いものがある。だって、全20巻すべて、読後に、いやーな感覚がずっしりと残るのだから。

  いったい、こんなマンガを描く真鍋昌平という漫画家はどのような人物なのだろうかという興味がわいてきて、彼の処女作とも呼ぶべき「SMUGGLER」(2000年)と「THE END」(2001年)をAmazonで取り寄せた(こういうとき、Amazonは本当に便利ですね)。

  両作品を読んで、より一層、この漫画家の才能の底知れなさに驚かされた。

    確かに初期作品は、「作画」という点では、現在の力量よりもずっと劣っている。意識的に用いていたであろう野生的な描線も、物語を推進する力とはならず、却って難解にしてしまっている節がなくもない(だからなのか、「THE END」の後半からこの筆致は減少して、現在おなじみのタッチに変わってくる)。

  しかし、そんなことを補って余りある「異様な構想力」が両作品にはみなぎっている。「闇金ウシジマくん」で描かれる世界は、現実に今、存在し、その実態を読者が想像することができる世界である。まだ、読者の想像力が到達することのできる世界が描かれている。

   だが、「SMUGGLER」と「THE END」はそうではない。細かくは書かないが、「なんだかよく分らない不気味なもの」や「想像もつかない異様な事態」が次々に読者に襲いかかってくるのである。そのストーリー展開の腕力は、並々ならぬものがる。

   願わくば、「闇金~」を早く終えて、本来の、「誰も描くことができない世界を描く」行為にチャレンジしてもらえないものだろうか。

    真鍋昌平はただものではない。

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