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2011年3月21日 (月)

パラダイスへの扉は地獄の中にある

   
   手に汗を握る一週間だった。いやな緊張を強いられる毎日だった。

   もちろん、まだ、もっとも悲劇的なシナリオから完全に脱したわけではないから、「だった」と過去形で書くことは適切ではないかもしれない。しかし、一時の、あの絶望的な事態を思い起こすと、最悪な事態はとりあえずなんとか避けられそうではある。

   この間、いろいろ考えたり思ったり読んだりしたことがあった。忘れないうちにそのことを、ランダムに書き残して置きたい。平時に戻ると、今の「この感じ」のことなど、あっという間に消え去ってしまうだろうから。

   まず、強く思い知らされたのは、人間の本性といえばいいのか、人間性というべきなのか、あるいは、その人間の「裸形」といえばいいのか、そのようなものは「非常時」に際立つということだった。

  「平時」には安穏な空気のなかでぼんやりしている「人間性」も、「非常時」になると、エッジが立って、輪郭がくっきりと見えてくる。おお、君はそういう人間だったのか、というシーンに出くわすことが多くなる。

   とりわけ政治家は矢面に立たされるから、いっそうその器量が際立つ。もちろん、政治家だけではない。自衛官も、警察官も消防士も、財界人もジャーナリストも、己の「指紋」を衆人の目前にさらけ出してしまっている。

    しかし、いちばんはっきりしたのは自分自身だった。自分のことは自分が一番よく知っている。度量の小さい、臆病でせっかちな性格の人間であるということは、何十年もかけて熟知したはずだったが、ここまで「非常時」に耐性がないとは思わなかった。だいたい、気がつくと、呼吸が浅くなってしまっている。

   先日、この「非常時」に遭遇することで、初めてSNSの存在意義が分った、ということを書いた。http://kingkingko.cocolog-nifty.com/blog/2011/03/post-903d.html

  「平時」のソーシャル・メディアはクソである。「非常時」にはそれがミソになる。その理由ははっきりしている。「非常時」には、参加している人間全員の刻下の関心事が同じものだからである。みんなが同じ方向を見つめ、同じようにハラハラし、同じように涙し、おなじようにうなだれるからである。

  「平時」にそんなことは皆無である。みんながてんでバラバラの方向を見つめ、まったく違った感懐を抱いている。共有するものなどほとんどないメッセージは、もはやメッセージたりえないから、クソでしかない。他愛もない世迷言の羅列である。

  「非常時」にはFACEBOOKもtwitterもyoutubeも濃密な連帯感を生み出し始める。このときの「連帯感」はえも言えず心地よいものなのである。全員うちそろって報道に一喜一憂し、応援し、力づけ、泣き、怒る。この「同じ時代の同じ時間を、確かに今一緒に生きている」という感覚は、なぜかとても気持ちがいいのである。

   おそらくは、「打倒、鬼畜米英!」も「挙国一致」も「進め一億、火の玉だ」もとっても気持ちがよかったのではないかと思う。体験していないから確定的には言えないが、多分、そうだったに違いない。

   ひいていく津波のように、人心を一定の方向へ引っ張っていく「連帯感」という名の麻薬は、考えようによってはとっても怖いものなのだと思う。

   1941年12月。太平洋戦争の火蓋が切って落とされた直後の東京の様子もこんな感じだったのでないか、と昼休みに人通りのめっきり減った街を歩きながら思った。節電であちらこちらが暗い。人々はなんとなく元気がない。パーティや催し物や会食など、心うきうきするものが次々にキャンセルされていく。陽気でいることがなんとなく後ろめたいもののように思えてくる・・・・。

   震災後の被災民たちの冷静で秩序正しい行動を、とりわけ中国のメディアは驚きを持って報じていた。確かに、今回は空前絶後のカタストロフではあったが、被災民の間にパニックは起きなかった。起きなかったどころか、むしろ秩序正しい行動が自律発生的に彼らの中で醸されたように見える。

   絶望的にも思えるカタストロフの中では、ひとは却って冷静に秩序正しくふるまうようになるのではないかという気がする。

   思い起こせば、「アンデスの聖餐」でも、死亡した同僚の肉体を乾肉にしたり、脳味噌をすくって食べたりしていたが、それは決してパニックではなかった。救助されるまで、ルールができ秩序正しい生活が送られている。チリの地中深く取り残された鉱夫らもパニックに陥ることはなかった。阪神大震災でも、人々は冷静に行動していた。

   古新聞を読んでいたら面白い本の紹介記事を目にした。本のタイトルは「災害ユートピア」(レベッカ・ソルニット著 亜紀書房)。新聞は日本経済新聞2011年2月6日朝刊。書評子は慶大教授の渡辺靖氏。氏の文章を引用する。

<大規模な災害が発生すると、最初の数日はショックのあまり判断が混乱した状態に陥るが、そこから2カ月ほどの間は「災害ユートピア」が出現するとされる。災害によって一変した新しい環境のなかを生き抜くべく、人びとが自発的にルールを作り、互いに支え合う束の間の理想郷だ。>
  
   著者は世界各地で発生したさまざま大地震、大洪水、大爆発、巨大テロなどの勃発時に出現した相互扶助と利他行為を綿密に検証してこの本を書き上げたのだという。興味深い話である。
  
   著者はこう書く。「今の時代、パラダイスがあるとすれば、そこへの扉は地獄の中にある」と。
  
   この事態をどのように説明できるのだろうか。生命の危機さえ感じる絶望的な状況に置かれた人間は、なんとか生命(ドーキンス風に言えば遺伝子)を次世代につなぐために、もっとも有効な方法を、一種の恍惚感の中で構築する、ということではないか。
  
   たしかに生物には(昆虫であれ、魚類であれ、哺乳類であれ)そのような本能が組み込まれているような気もする。もちろん、これはインチキ生物学の妄想であるけれど。
  
   例のストックホルム症候群も、この理屈で説明できないのだろうか。ストックホルム症候群とは、犯人と人質が閉鎖空間で長時間にわたり非日常的体験を共有しているうちに、人質が犯人に対して信頼や愛情を感じるようになる心理的反応とされる。
  
   そうなったほうが、そうならないよりも生命を次世代につなぐ確率がぐんと高くなるからではないのか。
  
   最後に驚愕の予言ブログを紹介しておきたい。松原照子さんという預言者がいる。あっさり書いたが、じつは松原さんが何者かも、預言者というのがどういう仕事なのかも知らない。なんにも知らないが、その松原さんが今年の2月16日に書いた(と思える)ブログを読むと腰を抜かす。こんなことがあるのだろうか?

   http://shohweb.com/?m=20110216

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