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2011年3月 9日 (水)

後藤正治「清冽 詩人茨木のり子の肖像」を読み終えて

 もう呆れるほど長い間更新していない。忙しくて、ゆっくりと何事かを書き付ける時間がない。というか、書き付けるべき内容を思いつかない。いや、思いつくけど、ゆっくりと考える余裕がない。などと言い訳を書いているが、まあ、忙しすぎるんだな。

  前回のブログで、あらゆる書き物の背後には、その筆者の書かずにはいられない「已むに已まれぬ思い」がなくてはならない、という話を書いた。そのようにして書かれた書き物を、読者は抜き身の我が身を捻りこむようにして読み込むのだ、とも。
http://kingkingko.cocolog-nifty.com/blog/2011/02/post-9319.html

  昨夜読み終えた後藤正治氏の新刊「清冽 詩人茨木のり子の肖像」(中央公論新社)は、まさに筆者・後藤氏の「已むに已まれぬ思い」が巻頭からあとがきにまで貫通する一冊だった。

  茨木のり子の名前は知っていたが、その詩集を読んだことはない。従って、その詩人に興味を抱いたこともないけれど、とても興味深く読み終えることができた。感動さえした。それはひとえに、筆者・後藤氏の「茨木のり子に対する恩義」のようなものが全編に溢れかえっているからだ。

  後藤氏は、若き日に茨木の詩に接し、近年になってじっくりと茨木の詩集を読みこむことになったという。詩人が紡ぎ出す言葉は、後藤の背中を押し、生きる力を授けてきたのである。その恩義ある詩人は、若くして夫に先立たれ、晩年をひとりでひっそりと静かに暮らし、そして誰にも看取られることなく自宅で亡くなった。

  決して幸福な一生だったとは言いがたい人生を送った、一人の女性詩人の生涯を極めて丁寧な取材でトレースし、後藤は、生前には親交のなかった詩人の素顔に、頬を接するようにして肉薄する。時に哀切であり、また時に粛然とさせられる。

  本のカバーをはずすと、扉に、若き日の美しき茨木のり子の写真がモノクロで印刷されている。まだ20代だろうか。笑みを浮かべ、生気に満ち溢れた穏やかな表情を見せている。この美しい女性が、この何十年か後に、80歳を目前にして、東伏見の古くなった自宅のベッド中で一人死んでいったのかと思うと、ひとの一生の条理のなさ加減をしみじみと思い知らされる。

<戦中、敗戦、戦後、現在・・・・時代の相貌は著しく変わり続けた。けれども、いつの世も、人が生きる命題においては何ほどの変わりはないのかもしれない。自身を律し、慎み、志を持続してなすべきことを果たさんとする―――。それが、茨木のり子の全詩と生涯の主題であり、伝播してくるメッセージである。>(p263)

  最後に茨木が60代のときに書いた「さくら」という詩を掲げる。

<ことしも生きて
 さくらを見ています
 ひとは生涯に
  何回ぐらいさくらをみるのかしら
  ものごころつくのが十歳ぐらいなら
  どんなに多くても七十回ぐらい
  三十回 四十回のひともざら
  なんという少なさだろう
  もっともっと多くみるような気がするのは
  祖先の視覚も
  まぎれこみ重なりあい霞だつせいでしょう
  あでやかとも妖しとも不気味とも
  捉えかねる花のいろ
  さくらふぶきの下を ふららと歩けば
  一瞬
  名僧のごとくにわかるのです
  死こそ常態
  生はいとしき蜃気楼と>

  詩などなくても人は生きていける。だけれども、一編の詩もない人生は、ひとしお淋しいものだと、これを読んでいて思う。

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コメント

お早うございます。
この大変な時に、きのうから熱と不安で動悸のようなものが激しいですが、だからお邪魔致します。

 「ジーノの家」を読んでいます。私も心に染み入ってくるものを感じます。自分自身の過去に在るノスタルジーが愛おしくなる本。出会えて良かったです。

 路傍の石さんはきのうの地震大丈夫でしたか?私はたまたま熱を出して勤めを休んでいましたが、ベッドに潜って来るものが来たか・・・と一瞬覚悟しました。それで余震の怖さに戦きながら、ボリス・ヴィアンの「心臓抜き」滝田文彦訳の173ページあたりから、要するに司祭と香部屋係とのリング格闘のくだり、それから不思議と私の気持ちを軽く活動的にさせてくれる何箇所かの部分を読みました。

 テレビで被害の拡大を見ていると本当に不安になります。
生きていることが奇跡だと実感します。ひとりでも多くの人の安全が確保されるよう祈るばかりです。

投稿: アキコ・ハミング | 2011年3月12日 (土) 09時49分

コメント、ありがとうございます。この一週間はとても心の休まる暇とてなく、なんとなく緊張し、そわそわしながら生活していて、ご返事するヒマもありませんでした。一刻も早く、この窮地から日本が脱出できることを願っています。またふたたび穏やかな日常が舞い戻ってきますように。

投稿: アキコさま 路傍より | 2011年3月16日 (水) 15時08分

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