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2011年6月

2011年6月 5日 (日)

運転免許証の更新で腹を立てる

    実に久方ぶりのブログ書きである。

  こんなことを書きたい、あんなことを書き残しておきたい、というようなことがなくはなかったけれど、なんとなく気ぜわしくて、ゆっくりとPCに向かう気にならなかったのだ。
 
    オサマ・ビンラディンのことや(そのうちに絶対に書こう!)、東日本大震災に対する日本人の反応(あと数ヶ月もすれば日本中の人々が好き勝手な方向を見始めるに決まっている。喉元過ぎれば熱さ忘るる、である)のことなど、思ったり考えたりした由なし事を、暑くなる前に、カタコトとキーボードに叩き込みたいと思う。

   さて、本日は運転免許証の話。

   先月、更新時期が来たので府中に出かけて、五千円近くを納め、大して役にも立たぬ罰講義(違反者は時間が長い)を聴講し、欲しくもない印刷物を2、3種類押し付けられた。印刷物は帰りがけに構内のゴミ箱に捨てた。
 
    これまで、さして気にならなかったが、よくよく考えれば、この運転免許証の更新にまつわるもろもろの手続きというのは、実に、定年後の警察官を食わせるためのシステム以外の何物でもない。
 
   単なる更新事務になんで五千円近く徴収するのか、全く不可解である。
 
   新しい免許証を手にして、不可解さはさらに増した。今回から、免許証には本籍を記載しないことになったというのである。

   「記載はされていないが、実は免許証にはICチップが埋め込まれており、そこに入力されています。ですので、そこにデータを読み取る機械が並んでいるので、正しく本籍が記録されているかどうか、機械に通して確認してください」というのである。
 
    見ればATMのような機械が10台ほど並んでいる。めんどくさいではないか!
 
    しかも、説明によると、本籍を記載しなくなったのは個人情報保護の観点からだという。個人情報の保護? 免許証を見ると、本名、生年月日、現住所どころか、顔写真までしっかり載っている。こっちの個人情報はそのままにして、どうして本籍地のみ、チップに格納するのか。不合理であり、不経済であり、不可解で、不愉快ではないか! どうせ格納するなら、全部格納しろ。免許証を真っ白にしてみろ。

    だんだん不愉快になってきた。
 
    本籍のみをチップに格納するために免許証をICカード化し、しかもそれを読み取る機械を日本中に設置する、その経費はいったいどのくらいのものなのだろうか。この愚かしい改変は、いったいどこで誰が考え、どのような手続きを経て認可されたものなのだろうか。これは業者と警察組織の癒着ではないのか。
 
    と、怒りは増長していく。

   確かに本籍制度が、同和的人権問題を引き起こしたことが過去にあったであろうことは想像に難くない。ある個人の出自が本籍地から読み取ることができた時代も確かにあっただろう。
  

   明治初期には、本籍は絶対的に必要であったであろうことも理解できる。ある人間がいったいどこの出身なのか。薩摩なのか長州なのか。はたまた紀州なのか尾張なのか。会津なのか桑名なのか。これは死活的に必要な情報であったに違いない。革命派なのか反革命なのかは出身の藩によって色分けされていたから、出身地のデータはその人物を知る上でどうしたって必要である。
 
    しかし、現在は違う。本籍は日本国内であれば、自由勝手にどこにでも移せるのである。北方四島だろうか竹島だろうが尖閣諸島だろうが皇居だろうが国会議事堂の場所だろうが、地番さえ分っていれば移せる。
 
    本籍制度がかくも訳の分らない変容を遂げてしまった現在、本籍を、本籍のみを、個人情報保護法に則って、免許証から削除する意味があるのだろうか? そのコスト(税金)とプロフィットは見合うものなのだろうか。
 
    私にはその理路が全く分らない。

   久しぶりのブログなのに、全然楽しくない話ですまぬ。

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