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2011年7月20日 (水)

蒸し暑い夜に

 
    昨日の深夜、ちょっと酔っぱらって総武線の吊革につかまりながら、窓の外の湿った闇夜を眺めているうちに、「ああ、親父が死んでからもう20年か」と、ふと思った。

   親父が亡くなったのは91年の8月のことだから、正しく20年の歳月が流れたことになる。葬儀の日も、こんなふうに、常軌を逸した蒸し暑さだったことも思い出した。

   電車やバスに乗って無聊のとき、私には口をとがらしてあたりをキョロキョロ見回す癖があるが、そんなとき、全く同じしぐさを親父がしていた記憶が鮮明に蘇る。どうしてこんなことが遺伝するのかよくわからないが、なるほど父子なんだな、と実感する。

   そんな具合に、親父のしぐさや表情は、時々思い出すことがある。しかし、昨夜、さて親父の声はどんなだったっけ? と自分に問いかけたとき、驚いたことに「声」を思い出すことができなかった。ビジュアルは写真などが残っているから不在の20年を経過しても頭に思い浮かべることができる。だが、声は、思い出すことができないのだ。そのことに愕然とした。

   思えば親父と共に過ごしたのは、この世に生まれてからわずか18年間でしかなかった。高校を卒業してすぐに故郷を後にしたために、親父の声は、いつの間にかフェイドアウトしてしまったのかもしれない。

   こんなふうにして、人は、2度目の死を死んでいくのだな、と酔っぱらった頭で考えていた。

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