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2011年9月 4日 (日)

北京にて

    3泊4日の北京出張から金曜日に帰ったところ。記憶が鮮やかなうちに北京の印象記を書いておきたい。
 
    異国の空港に降り立つと、必ずその国固有の匂いがする。欧米の空港は、なんとなくバター臭いような匂い。タイやベトナムは、なんだか知らないがものすごい香料の匂いがする。すぐにUターンしたくなるような強烈な匂いである。
 
    北京はかすかに香辛料と思われる匂いがする。東京でもパリでもニューヨークでも、本格的中華料理店に入るとこの匂いがする。いったい何の匂いなんだろう。
 
    北京空港はでかい。めったやたらにでかい。こんなに大きな建物にしなくったっていいんじゃないの、というくらいでかい。ガリバーの国に迷い込んだ東洋人のような気分である。
 
    で、空港の外に出てびっくりしたのが、空気が汚い、ということ。臭いのである。なんとなく揮発性の匂いがする。とてもじゃないが、こんな空気を深呼吸したら体が悪くなるだろうというような汚れっぷりである。
 
    この空の下に長らく住んでいる住人にはもう、この匂いは分らなくなってしまっているだろうが、突然やってきた外国人にはよく分る。現地の人の説明では、北京は海から遠く内陸部あって風が吹き抜けないために、クルマの排気ガスが滞留してこうなるのだという。「鼻毛の伸び方がすごいです」とも言う。

   到着した翌日も、うんざりするような暑さの晴天。晴天ではあるのだが、空気が汚れているために視界がはなはだ悪い。頭上の太陽を直視できるほどである。この視界の悪さは日本ではついぞお目にかからない。

   その汚染ぶりを説明するとこんな感じである。学校の運動場にある、乾燥した細かい砂が入った砂場を想像していただきたい。その砂場が1キロ四方ぐらいの大きさで、そこにゴジラのような巨人が入り込んで、大きなざるで砂をすくっては空に投げ上げている様子を思い浮かべていただきたい。細かい砂がまわりに立ち込める。
 
    そんな砂場が1万個くらいあって、1万人のゴジラ人間が、やらなくてもいいのに、砂を空に投げ上げている。そんな感じなのである。もうたまりまへんわ。おかげでクルマは真っ白に汚れている。洗車してもすぐに汚れてしまうからか、きれいな車は少ない。
  
    ざーっとにわか雨でも降れば、ずいぶんと視界はすっきりするだろうなと思ったのだが、実際、その日の夜に雨が降り、翌日はずいぶんと空気がきれいになった。視界も、いくらかは遠くまで見えるようになった。
  
    北京で次にド肝を抜かれたのが北京市民のみなさんのクルマの運転ぶり。最初に見たときには正気の沙汰ではない、と思った。10年ほど前に、ベトナムはホーチミンの路上で、乗ったタクシーが、イナゴの大群のように押し寄せてくる自転車やバイクの群れに向かってすこしづつすこしづつハンドルを切って右折するときにも正気の沙汰ではないと思ったが、今回はその上を行く。
  
    まず、日本では「歩行者優先」のマナーが浸透している。たとえば、道路を左折する際に、横断歩道を歩行者が歩いていたら、彼らを優先し、わたり終えるまでクルマは待っている。北京では違いまっせ。その歩行者の群れの中へクルマは突っ込んでいく。「おらおらおらー、どけどけどけー。オレのクルマが行くぞー」という感じ。
  
    もう全くクルマ優先である。日本でこんなことをしたら、歩行者に睨まれるか怒鳴られるだけだけど、北京の歩行者は違う。歩行者はおずおずと身を引き、クルマを優先させるのである。
 
    はしなくも路上で露呈してしまっているのは、「弱肉強食」の論理である。「強い者」がまず優先される社会なのである。「弱者には何もやるな」という社会なのである。
  
    だから、日本では常識のようになっている身体障害者や盲人のための諸施策(段差のない歩道や盲人用の路上のデコボコなど)は全く無い。ひょっとしたらどこかにあるのかもしれないが、少なくとも今回の滞在中にはお目にかかることはなかった。
 
    おそらくは、この交通事情の只中に車椅子でのこのこやって来たらすぐに事故に会うだろう。
 
   北京の路上で真に驚いたことは実はこんなことではない。まるでカートレースでもしているようなクルマの走りっぷりには身の毛がよだった。車間に少しでも隙間があれば横の車線からクルマが割り込んでくる。オラオラオラーと首を突っ込んでくる。

    割り込まれるほうが、「もう、しょうがないなあ」と少し身を引けば緊張は和らぐのだが、ところがどっこい。割り込まれるほうも、「そうは行くかい。オラオラオラー、入れへんぞう! あほんだら」(なぜか北京には関西弁がよく似合うなあ)と強引にスピードを上げる。

    と、当然ぶつかりそうになるから、割り込まれるほうは横の車線に逃げる。と、その車線を走っていた車が驚いて(ブレーキを踏めばいいのに踏まないから)もうひとつ横の車線に逃げるので、道路は大変危険な無秩序に陥る。
 
    とにかくみんな、「オレが先、オレが一番」だからたまったものではない。謙譲の精神とか、譲り合いとか、「合流は交互にマナーを守って」なんていうものは北京には全く無い。恐ろしいほど無い。

    先に弱肉強食と書いたが、路上で一番強いのは、政府高官のクルマである。本当の高官のクルマは、道路を封鎖して無渋滞状態にして疾駆するから別格として、ちょっとだけ高官なクルマとか、その高官をボディガードする公安のクルマ(ナンバープレートが普通車は「京」で始まっているが、その手のクルマは「W」で始まっているので見ればすぐわかる)は、もう我が物顔である。

    一般車は、面倒なことに巻き込まれたくないので、Wナンバーのクルマには近づかないし、無茶をしない。で、これがアウディのQ7だったりして、トルクを利かせてグイングイン疾走していく。

    階級社会というならこれほど確固たる階級社会はないだろう。弱肉強食というなら、これほどそのことが実践され、しかも、そのことに疑問を抱かないばかりか、諦めきっている社会もないのではないかと思わせられた。

    中国は確かに経済的に成長して、世界でも有数の経済大国となった。立派なビルが次々と建ち並び、何車線もある道路を外車が狂ったように走り回っている。大金持ちも次々に誕生している。しかし、そのことと、世界中の人々から尊敬されたり憧れられたりすることとはまた別である。

    少なくとも私はこの国に住みたいとも思わないし、憧れることもない。中国が世界中の人々から愛され、尊敬されるようになるには、まだまだ長い歳月が必要だろうなあと痛切に実感した。
 
    さて、閑話休題。
 
    私の職場でのあだ名は「謎の中国人」。略して「ナゾ中」。自分では自覚していないのだが、周りの人から見るとそのように見えるらしい。まあ、日本人離れしているわけである。

    北京で出会う中国人の方々にそのことをお尋ねしてみた。

    3泊4日しかしないのに、2晩も行ってしまったカラオケ屋(新美恵CLUB)では、完全に中国人として受け止められた。
 
    著名な映画製作関係者には「東北人の伝統的な顔をしている」と言われた。
 
    ある政府関係者には「政府高官の息子で、香港でビジネスに成功した金持ちのようなオーラがある」とくすぐったいような感想をいただいた。
 
    つまり、みなさん、中国人顔であると、認定してくれたわけである。

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