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2011年12月15日 (木)

笑っちゃうほど、分からない

 
   夜寝る前に、ベッドの中で本を読む。眠くなるまで読む。まあ、一種の睡眠薬のようなものだが、今、読んでいる本は、2ページも読まないうちに眠くなる。

  まるで気絶するように眠くなる。

  その本のタイトルは「フーコー」(河出文庫)。著者はジル・ドゥルーズ。ドゥルーズは1925年生まれのフランスの哲学者。70歳の時にアパルトマンから身を投げて自死している。

  その彼が、20世紀フランスを代表する知性の一人、ミッシェル・フーコー(1926-1984)について論じた本が「フーコー」である。

  これがもう笑っちゃうくらい、何が書いてあるか分からない。若いころは難解な本に出会うと、すごく腹が立って、ビリビリに破いて捨てたものだが、最近は、「よーし、どれくらい分からないか試してみよう」という遊び心が芽生えて、余裕をかまして読み進めるのだが、これが読めない。何しろ、眠くなっちゃうのだから。

   どのくらい分からないか、アトランダムに引用してみようか。

<しかし、フーコーにはもうちょっと安心させてくれる面もある。もし、言表が稀少であり、本質的に稀少であるなら、言表を生み出すために少しも独創性はいらないのだ。ある言表は、いつもこれに対応する空間に配分される特異性の放射、あるいは特異点の放射をあらわしている。こういった空間そのものの形成と変形は、創造、始まり、措定といった用語では、よく表現できないトポロジックな問題を提起する。>(P17-18)

  ね、笑っちゃうでしょ。何に笑っちゃうのかというと、ドゥルーズには、読者に理解してもらおうという気持ちはさらさらない、そのなさ加減に笑っちゃうのである。彼に限らず、フランスの知識人の書き物には、「分かる人だけ分かればよい。馬鹿は近寄るなでないぞ」という強烈な選別感がみなぎっているが、それはなぜなんだろうか?

  この途方もないエリート意識はどこから生まれるのだろうか。そのことに興味がわく。

  学生時代に、新潮社から刊行されたフーコーの「言葉と物」(結構高かった記憶がある)を買い、エンピツで線を引きながら読んだ記憶があるが、何が書いてあったかは全然、思い出せない。

  そういえば、今思い出したが、私はミッシェル・フーコーの講義を聴いたことがある。1975年だったと思う。サンミッシェルのソルボンヌ大学の廊下にある掲示板に、フーコーの特別講義がどこそこである、と掲出されていたのだ。

  おお、あのフーコーかあ、と思い野次馬気分で友人とふたりで、その教室に出かけた。教室は、サンデルの白熱教室のようなすり鉢状で、鉢の底の方で、黒っぽい服装の、ハゲのフーコーが話をしていた。
  
    何を話していたか? 何も覚えていない。日本語で講義がなされていたとしても多分、理解できなかったのではなかろうかと思う。ただ覚えているのは、この人が現代フランスを代表する知性の持ち主なのか、という畏怖するような気分になったことである。以来、フランス知識人には、なんともいえぬ畏怖を感じるようになってしまったのだが。

  

  

  

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