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2012年1月12日 (木)

どこまでも直情径行

 
    高校時代の母校からの原稿依頼があり、断るわけにいかず引き受けたものの、書いているうちにどんどん長くなり、かつ、後輩に当たる中高生に何が言いたいのかも分からなくなった次第。ごめんなさい。
 
    最近、ブログの更新が滞っているので、再録して、お茶を濁す方針です。
  
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  小学校の低学年のころ、役者になりたかった。当時テレビで「風小僧」や「白馬童子」に熱中し、主演の山城新伍に憧れて、なんとしてでも役者になって、共演したいと強く願うようになった。

    そうなると、今も変わらぬ直情径行の性情がむくむくとわき起こり、手紙を書かずにはいられなくなった。

「山城さん、僕は小学生ですが、山城さんのファンです。僕も山城さんのような役者になりたいです。どうか、付き人にしてもらえないでしょうか?」
 
    返信用の封筒もちゃんと用意して送ったのだが、返ってきた封筒の中には、サインが一枚入っているだけだった。

   中学生のころ、漫画家になりたいと思いつめた。手塚治虫の漫画の描き方の参考書を買いこんで、ケント紙にGペンでコキコキと毎日、漫画を描いていた。ある日、またもや、いつもの直情径行が励起し、手紙を書かずにはいられなくなる。

「石ノ森章太郎先生、僕は漫画好きな中学生です。和歌山の田舎に住んでいますが、どうか先生のアシスタントにしていただけないでしょうか?」

   これは、返事が来なかった。きっと、そんな少年が日本中にいっぱいいたのに違いない。

   高校生の頃、将来は映画監督になろうと思った。今でもまだあるのだろうか? 御坊市内にある、トイレの匂いが漂う映画館で、3本立ての映画を2周(つまり6本ですね)も見たりしていたのだ(ずいぶん、体力があったんだなあ)。そして、例の直情径行がまたしても発動する。

「淀川長治先生、僕は高校生ですが、将来、映画監督になろうと思います。ついては、先生の弟子にしていただきたく、お願いする次第です」

   残念ながら、これも返事が来なかった。しかし、もし先生のオメガネにかなって、なまじお弟子になどなっていたら、今頃はきっと内股で歩くような人生を送っていたに違いない(幸せになれたかどうかはわからない)。

   大学生の頃になると、よーし、小説家になろう、と思って髪を伸ばし始めた(五木寛之も水上勉も、長髪をかきあげてかっこよかった)。原稿用紙を大量に買いこんできては、誰に頼まれたわけでもないのに、こつこつと小説を書き始めた。書いたものがたまると、アルバイトで貯めたお金で、自費出版の小冊子を作った(表紙の装丁は、高校時代に一緒に美術部に在籍した野田裕示君に依頼)。

   小冊子が出来上がってくると、これを販売しないではいられなくなる。新宿紀伊國屋や早稲田大学の生協や、下宿の近所の本屋に出かけては、「とにかく、いい本なので販売していただきたい」と、押しつけた(今考えると、汗が出てくるような無茶苦茶な所業だが、なぜかみんな売ってくれた)。

   それが済むと、次には、この本を何人かの作家に送り付け始めた。誰にお送りしたのかほとんど忘れてしまったが、明瞭に覚えているのは、野呂邦暢氏(長崎県諫早市在住の芥川賞受賞作家)に手紙を添えて送ったことだ。氏からは、読後の丁寧な感想をしたためた手紙が送られてきたのだ(今でも宝物として大事にしまっている)。

   大学生活も後半になると、「物書き」として食っていこう、という漠とした思いが強まってきたものの、同い年の村上龍氏が「限りなく透明に近いブルー」で芥川賞を受賞するや、「あ、だめだ。この才能は追い越せない」とただちにしっぽを巻いて、文筆業からの撤退を決め込んだ。

   とは言うものの、就職の季節が近づく。文筆業に比較的近しい職場にしようと出版社を片っ端から受験。かくして、一番最初に合格通知をもらった出版社に入社することとなった。

   入社後は週刊誌やスポーツ誌、月刊誌などの雑誌編集に従事。その間、子供の頃に手紙を出したお相手にお目にかかる機会もあった。

   銀座の映画会社の試写室の暗がりの中で、まるで置物のように小さくなって背中が曲がった淀川先生を見かけた(声はかけなかった)。

    代々木の仕事場へ、石ノ森先生に原稿執筆をお願いに出かけたこともあった(手紙の話はしなかった)。

    山城新伍氏には、2009年に亡くなる直前、さるパーティの会場で初対面のご挨拶をした。

「山城さん、あなたは僕のことを何にも知らないだろうけれど、僕はあなたのことをよく知っている。40年以上前に、付き人にしてほしいって、手紙を出したんですよ。そしたら、サインが一枚入った手紙をもらいました。それをみて、僕は山城さんサインが書けるようにずいぶん練習したんですよ。ほら、今でもこうして書けるんです」

   山城さんは、体調が悪かったのか、酔っぱらっていたのか、しばらく僕の顔をジーッとみつめていた。それから視線を移して、遠くの方を見つめるような眼をした。

   ある日には、会社の玄関で、野呂邦暢氏とすれ違った。あっと思ったが、急ぎの仕事を抱えていたので、またの機会にご挨拶しようとそのまますれ違った。野呂氏はしばらくのちに自殺して、ついにご挨拶する機会は訪れなかった。

  さて、こんな風にだらだらと昔話を書き連ねて、僕は後輩に当たるあなたたちに何を伝えようとしているのだろうか?

   僕の人生を駆動し続けた、「思いついたら、即行動」という、この直情径行(おっちょこちょい)を、諸君の人生のお供にもどうぞ、と勧めたいのだろうか。

   確かにこの直情径行は、社会人になった後もますます盛んで、拘置所から出てきたばかりの高橋源一郎氏や、喫茶店の店主をしていた村上春樹氏や、銀座の雑居ビルでサラリーマンをしていた椎名誠氏のもとに僕を向かわせたりした。思いがけない出会いを授けてくれたりもした。

   でも、おっちょこちょいのすすめを述べたいのではない。なんと今年で60年になる僕のこれまでの人生を楽しく、豊かで、気分のいいものにしてくれたのは、他でもない、多くの人との出会いであった、という単純な事実をお伝えしておきたいと思ったのである。

   60年生きてきて分かることがある。

    人との出会いの有難さは、対面しているまさにその時に実感するものではない。そうではなくて、時が過ぎ、時間が経って、回想的にその人のことを思い出すとき、その出会いが自分にとって、いかにかけがえのないものであったかを、身をよじるようにして痛感するものなのだ。

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