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2012年2月25日 (土)

成島柳北と永井荷風

    年が明けて以降、さして面白いこともなく、最近はブログの更新も全く果たせないでいる。仕事で原稿を書かなくてはならないハメになると、まめにカタカタとキーボードを叩くけれど、個人的ブログとなると、怠け心が芽生えて、「まあいいやあ、今度書こ」ということになってしまう。

    最近の個人的なニュースはというと、白内障の手術、その後、である。左目には多焦点眼内レンズを挿入した。想像していたほど快適なものではなかったので、右目の手術は延期、というか、取りやめ(勝手に自分の意志で)。

    そうなると、極端なガチャ目になる。左目は遠くの方ならば1.2は見える。右目はと言うと強烈な近眼。目先20センチのところにピントが合っているだけ。不便この上ないのだが、人間と言うものはよくできたもので、時間とともに、この激ガチャ目にも慣れてくるのである。

    遠くを見るときは左目で、近くのものは右目で見るように、自然になってくるのである。別に努力しているわけではない。どうやら脳味噌の方が勝手にそのように操作してくれているようなのだ。そういうわけで、右目の白内障が悪化しないかぎりは、多分このまま生きていくことになりそうである。

    そんな激ガチャ目でも、なんとか本は読める。しかし、すぐに目が疲れてしまって、本を閉じる。しばらくしてまた読み始めようとするのだが、つい、別の本に手が伸びてしまう。本を読むスピードよりも買うスピードの方が速いので、読みたい本が溜まる一方である。いきおい、1冊を読了する前に別の本に手が出てしまうというわけである。

    読書のスピードは明らかに個人差がある。観察していると、本当に読んでいるのだろうかというくらい速読の人がいる。文字の塊を、画像処理しているような感じである。これを人力PDFファイル型読書、とすると、私はテキスト・ファイル型読書。一字一字読んでいる。しかも、自分ではっきり分るのだが、脳の中で、文字を音声化しながら読んでいる。口に出して音を出すことはないが、頭の中で文字を音に変換している。私にとって、文字を読むという行為は、「黙読」に他ならない。本を読むスピードが遅いのも当たり前なのである。

    遅読者はおのれの読書スピードの遅さにいらっとして、読みかけの本を放り出して、つい別の本を手にとってしまうのだが、またすぐにいらっとしてまた別の本を手に取ってしまう。そんなわけで、今は5冊ほどの本を分裂症的に、同時並行して読んでいるのだが、こういうことをしていると面白いことが起きる。

    ある本に書いてあることと、別の本に書いてあることが、まるでジグソーパズルの断片がうまくはまるようにぴたっと合う瞬間があるのである。トランスフォーマーみたいにガチャガチャガチャと組み合わさるのである。決して同じ傾向の本だけを読んでいるわけではないのに実に不思議。

    まず、最初に読んでいたのが、成島柳北という江戸時代の知識人が書いた「航西日乗」。この人は実に不思議な人間なのである。天保8(1837)年生まれ。成島家は代々将軍の侍講を担うインテリ家系で、1868年の1月には外国奉行に。しかし、直後に江戸幕府が崩壊するや、柳北は33歳なのにさっさと隠居。36歳の折には一民間人として、本願寺現如上人に随行してヨーロッパに渡る。で、10ヶ月後にアメリカ経由で帰国。

   「航西日乗」はその旅日記で、海外で見聞したことを日記形式で書きとめたもの。最初に驚いたことは、明治初年に、緊張感を持って渡欧したのにもかかわらず、実に頻繁に娼館に通っていること。
 
    1873年4月1日の日記の末尾にはこうある。

<寓に帰りて晩餐し、夜、諸氏とテレザの家を訪ふ。仏国里昂(リヨン)の人なり。>
 
    このテレザの家とは何だろうか、といぶかしんでしまうが、同行の「諸氏」の中のひとり、松本白華が自身の「航海録」のなかで、「夜、春を探り、以斯斑亜(イスパニア)の花を買ふ」と明かしてしまっている。ただし、松本はこれを漢文で記しているらしい。
 
    ふーんと思って読んでいると、その4日後、4月5日にまたしても柳北は<夜、同行と希臘人イダの家を訪ふ。>と、また行ってしまっているのである。いったい、どういうやつなんだろう、と思ってGoogleで検索をかけると出てきました、成島柳」北の写真が。なよっとして、どこか永井荷風に似ている。
 
    そう思った瞬間、あ、永井荷風は絶対に成島を読んでいる、と分った。成島の「航西日乗」に対するものが「ふらんす物語」であり、「断腸亭日乗」ではないか。成島の「柳橋新誌」が「墨東綺譚」や「新橋夜話」なのではないか、そう直感した。もちろん、丁寧に検証したわけではないので、単なる思い付きですけど。
 
    この本に面白い話はいくつもあるが、その中で、なるほど!とうなったのが次の話。幕末から明治初期、かなりの数の日本人が渡欧した。そして街中の靴屋で西欧風の靴をあつらえた。すると靴屋が首をかしげた。「どうして、日本人はみんな、左足の方が大きいんだ? 実に不思議だ」
 
   これを受けて、柳北がこう書いている。と、原文を引用しようと思ったが、どこにあったか探し出せない。こんな内容である。
 
    日本では武士の子供は、幼少の頃より、大小の両刀を左腰に佩刀している。かなりの重みのある物を左腰に常に帯びていたので左足が大きくなったのだろう。

    ねっ、面白いでしょう?

    数冊の本を併読する面白みについて書こうと思ったけど、もうPCの電池がない。時間もない。ちょっと疲れたので、続きはまた今度。本当はこれからが面白いんだけど・・・。

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コメント


はじめてコメントさせていただきます、ちゃありぃと申します。

もしよろしければアドバイスいただきたく。

私、白内障の手術勧告をうけており、多焦点にするかどうか悩んでいます。
私は今は左目のみ手術が必須な状態です。
「多焦点が想像よりNGだった、右目は手術せず」
との決断をされたことが気になっています。

通常の単焦点のほうがよかったということなのでしょうか?
そうではなく、単にやっぱり自分の眼の方がよいので手術要になるまで放置するという決断であって、もう片方の眼を手術される際は多焦点にされるのですか?

投稿: ちゃありぃ | 2016年10月11日 (火) 12時16分

取り急ぎ、ご返事のみ。あくまでも個人的な体験からの回答です。
私は左目を手術。多焦点を入れました。この欠点は、遠くも近くも見られるレンズというのは、エッジが甘い。輪郭がくっきりしないことです。また、真っ黒に見えるべきものが、灰色に見えます。ただ、裸眼で生活できたのは良かったのですが、1000人に一人に起きるという不具合(レンズが眼内に落ちていく)で緊急手術。多焦点を取り出しました。代わりに入れたレンズは単焦点にしました。
こちらは、先に述べて不鮮明さは解消されました。
ただし、当たり前ですが、遠くを見る場合はメガネが必要です。
もっとも、私は、右目が近眼なので、両目が近眼になったようなもので、さして不都合を感じません。

将来右目にレンズを入れる場合は、単焦点にします。

以上です。

投稿: | 2016年10月11日 (火) 12時38分


ちゃありぃです。

早々に回答いただき、大変感謝いたします。

私はこれまでほとんどメガネをかけたことがなかったので
自分の体こそお金はかけるべきと考え、できれば多焦点をと思って調べ始めたのですが、いろいろ回って信頼できる先生に出会えないまま、経過してしまっています。

白内障の症例は多くても、今の日本では多焦点の得意な先生や、症例は少ないのかなと、思い初めています。

いただいた情報参考にさせていただき、もうちょっと考えてみます。(すでに左目はほとんどみえません)

またアドバイスいただきたい場合はよろしくお願いいたします。

P.S.
大変だったのですね。
なんとなく後日談がみあたらなかったのでひょっとしてなにか…と予感していました。

私も6月に眼科ではないのですが、4人/10000人にあたってしまい、ICU送りになってしまったばかりで、なんとなくお気持ちわかります。

これから先は、お互い、宝くじ以外は当たらないように節に神様にお願いしたいと思います。

投稿: ちゃありぃ | 2016年10月11日 (火) 23時19分

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