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2012年3月11日 (日)

漢文的教養

  
    さて、前回、成島柳北という江戸時代の知識人が書いた「航西日乗」のことを書いた。この日記の中に次のような面白い話が載っていたことも書いた。

<幕末から明治初期、かなりの数の日本人が渡欧した。そして街中の靴屋で西欧風の靴をあつらえた。すると靴屋が首をかしげた。「どうして、日本人はみんな、左足の方が大きいんだ? 実に不思議だ」
  
    これを受けて、柳北がこう書いている。と、原文を引用しようと思ったが、どこにあったか探し出せない。こんな内容である。
 
    日本では武士の子供は、幼少の頃より、大小の両刀を左腰に佩刀している。かなりの重みのある物を左腰に常に帯びていたので左足が大きくなったのだろう。>

   前回は原文のありかがわからず、記憶で引用しておいたのだが、原文はこのようなものだった。

<此日、新靴を穿ちしに左足痛みて歩する能はず。之れを靴工に質す。工人曰く、日本の人は何故か左足の右足より大なる者多し、君も亦然るかと。余熟く思ふに、我邦の士人は幼少より両刀を佩べり。之れが為め左足に力の入るよりして自然に右足より巨大なるを致せるなる可し。之を友人に質すに皆余と同案なりき。>(P72「幕末維新パリ見聞記」岩波文庫)
 
    長い道草をしてしまったが、前回言いたかったことは、日本人の左足のことではなく、成島柳北の文章に横溢する、漢文的教養についてだった。前出の日記文も漢文の読み下し文のようにして書かれている。

    もっとも、ひとり成島に限らず、江戸時代の知識人はみんな素晴らしい漢文的教養を備えている。いったいどう読めばいいのか分らない漢字が頻出し、想像しながら理解するしかないのだが、想像のしようもない言葉も結構多い。

    完全にお手上げ状態になってしまうのは、漢詩である。成島はこの旅日記の随所に、興趣がつのったのだろう、漢詩をしたためている。たとえばこんな詩句を記すのである。

<鉄蹄翔処翠裙披
狂蝶穿簾鶯遶枝
千古誰追項王感
烏騅背上舞虞姫>(P73 同書)
  
    PCで横書きで表記するのは、漢字変換も大変だけど、それよりも何よりもものすごく気持ちが悪いね、こうして書いてみると。でも現代の大陸の中国人は、漢字をおそろしいほど簡略化し、しかも横書きを基調にしてしまっているのだから、何をかいわんや、だけど、それはさておき。
  
    さて上記の漢詩だが、漢字を知っているだけではなく、項王やら虞姫の何たるかを知っていなくては全く意味をなさないものである。このような詩句をいくつもいくつもつっかえつっかえしながら読んでいると、つくずく思い知るのである。
  
    戦後、われわれ日本人は、この種の漢文的教養を一気に投げ棄ててしまったことを。現代の平均的日本人は、上記の漢詩は読めない。たかだか150年ほど前に、同じ日本人が書いたものを、もはや読めないのである。意味を想像することも難しいのである。
 
    鴎外や漱石は完璧に読めただろう。荷風も読みこなしただろう。彼らは読むだけではなく、自ら作詩もしただろう。つまり、明治、大正の知識人たちにとって、漢文的教養は、今の我々の英語的教養のようなものだったに違いない。
  
    かつて、高等教育を受けたものたちはみな、漢文的教養と素養を有していた。しかし、戦後(太平洋戦争の戦後である。もちろん)、我々は、どういう理由があったのかしらないが、この連綿として続いてきた漢文的教養を一挙にかなぐり捨ててしまった。
  
    そればかりか、漢字そのものも、常用漢字だとか当用漢字だとかのリストを作り、「知っていればいい漢字」の総量を極端に減らした。その結果が今である。私を含めて、多くの日本人は成島が記す漢字の華麗さ、豊穣さに舌を巻くだろう。
 
    もったいないことをしてしまったなあ、と思う。戦後の必須的教育プログラムを役人たちが思案したときに、英語、数学、化学、物理と数え上げていって、黴臭い漢文的教養は、もはやさほど重要なものに見えなかったに違いない。しかし、あらゆる喪失がそうであるように、失ってしまって初めて、私たちは失ったものの大きさに直面するのである。
    
    というようなことを考えながら、内田樹氏の「呪いの時代」(新潮社)を読んでいたら、こんな文章にぶち当たった。何冊もの、なんの脈絡もない本を並行的に読んでいるとこんな風に符合するアイデアに出くわすことがある。これが得も言えず楽しい。

<韓国は公用文を原則としてハングルだけを用いて表記する法律が制定され、1968年には漢字教育が廃止され、1970年には教科書から漢字が消えました。現在の若い韓国人はもう自分の名前以外の漢字はほとんど読むことも書くこともできない。それは要するに2世代前の人たちが書いた文章が読めないということです。祖父母の世代が書いた文学作品が読めない。政治的テクストも、哲学的論考も、日記も読めない。(・・・・・)目前に、漢字さえ読めれば簡単にアクセスできる膨大なアーカイブがあるにもかかわらず、漢字を使えないばかりにこの宝庫に入ることができない。(・・・・・)これはテクストを通じての国民的エートスの継承、先賢の知恵の伝達という点からすれば、危機的な事態ではないかと僕は思います。>(P97)

(この話はまだまだ続く)

   オマケの話。たった今、佐野眞一氏の「あんぽん 孫正義伝」(小学館)を読み終える。私の上司は、「読み始めたが品が無いので途中で放擲した」と感想を述べていたが、その感覚がなんとなく分る。佐野氏はもっと推敲すべきだった思う。もともとが週刊誌の連載なので、「雑」なのは仕方ないとしても、単行本化する際にもっと手を入れるばきだったと思う。

  そう思う一例は、「豚の糞尿と密造酒の臭いが充満した」という形容句の使用が多すぎる、ということである。正確にカウントしたわけではないが、一冊の本の中に20回は登場する。いくら気に入ったフレーズでも「ひとつ覚え」すぎるし、死球ギリギリの球を好んで投げているように見える。これが「下品」感をもたらすのではないか。

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コメント

先輩のご意見に賛同します。漢文の素養は現代でも幼少期からその気になって叩きこめば復活可能です。我が紀州藩の藩校の漢文教育は素晴らしかったと聞きます。和歌山から復活の狼煙を上げて欲しいです。拝。

投稿: 花街雀男 | 2012年3月18日 (日) 14時39分

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