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2012年3月17日 (土)

保育園児からイニシャル・アプレ・クーまで

 
    朝、家を出て最寄の駅まで歩く間に、かならずといっていいほど、2,3歳の子供たちの一群に出会う。保育園の子供20人ほどを、4,5人の若い女性保育士たちが手をひいたり、乳母車(?)様の手押し車に乗せたりしてどこかに出かけるのだ。
 
    もうかれこれ10年以上、この光景を目にしている。その日まで、そんなことは考えもしなかったのだが、なぜか、その日突然、妙なアイデアが浮かんだ。
 
    10年以上の間、自分は、その子供たちを、ああ、いつもの子供たちだなあ、と思いながら見送っていたのだが、よくよく考えてみれば、10年前にすれ違った子供は、多分、もう中学生くらいになっている。毎年毎年新しい子供たちが保育園にやってきて、古い子供たちは卒園し、常に交替しているのだという、実に当たり前の考えだった。次に思ったことは、子供たちだけではない、ということだった。
 
    若い保育士たちも、次々と代替わりしているだろうし(だからいつも若い女性が子供の手を引いているわけだ)、それだけではなく、犬の散歩をしている老人も、薬局から脚を引きずりながら出てくる老人も、10年前の老人達ではないのだということだった。
 
    10年前にすれ違った老人の何人かはすでに亡くなっただろう。10年前には矍鑠としていた初老の男女が、今は杖をついてゆっくり歩いている。そのとき、頭に落ちてきたアイデアは、つまり、こういうことだった。
 
    自分の目の前に広がる世界は、日々、何の変化もないように見える。今日目にする子供も青年も、老人も、昨日の子供であり、青年であり、老人であるように思い込んでいる。しかし、それは事実ではない。世界は、「定常的」に見えるけれど、実は「日々更新されている」のだという理解が舞い降りてきた。ミクロに見ると常に変化しているのに、マクロに見ると常に安定的、無変化的に見えている、という感覚である。
 
    次に思ったことは、福岡伸一氏の著書「動的平衡」(木楽舎)に書かれた「動的平衡」という考え方にどことなく似ているな、ということだった。

    福岡氏がこの本で展開したのは、19世紀末、ドイツに生まれた生化学者、ルドルフ・シェーンハイマーが提唱した「生命とは動的平衡にある流れである」という考え方である。脳や心臓の細胞は新陳代謝しないと言われるが、原子レベルで見ると、その細胞を構成する原子は常に入れ替わっている、という事実をシェーンハイマーは実験によって示した。「平衡」に見えるけれどその内実は極めて「動的」である、という指摘である。

    それを受けて福岡氏は、「従来の生命の定義に欠けているのは、<時間>であり、生物には必ず、不可逆的な時間の流れがあり、その流れに沿って折りたたまれ、一度折りたたまれたら二度と解くことのできないものとして存在している」と述べている。

    そんなことをあれこれ考えながら、四ッ谷駅で電車を降りて、新宿通りを会社に向かって歩いていると、「動的平衡」なのは、何も生物に限ったことではない。目の前のこの街並みそのものも、充分に「動的」ではないか。しかも、千代田区の街並みとして、いつも「平衡的」ですらある、という思いが頭に訪れた。

    そう思ったのは、新宿通りに沿って左右に新しいビルがいくつも建設されていて、はて、このビルが建つ前に、ここにはどんなビルや店があったんだろう、と思い返してみたものの、もはやちっとも思い出せない自分に気づいたからである。街並みの部分部分は常に不可逆的に変化している。しかし総体としての街並みは、常に平衡的であると、思ったのである。

    と、ここまで考えて、そういえば、鴨長明という人が「方丈記」で述べていたのはこのことではなかったのかと、はたと思い至った。そんな思いに捕らわれたのは他でもない、堀田善衛の「方丈記私記」を電車の中で読んでいたからである。

「方丈記」といえば、教科書にも出てくるこの一文が有名である。

<ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたる例なし>
 
    もちろん、鴨さんは河の話が書きたかったわけではない。これに続けてこう書いている。

<世中にある人と栖(すみか)と、またかくのごとし。>
 
    通勤途上で出会う保育園の子供や、新宿通り沿いの建物は、河の流れのように変転していく、と言っているのであり、鴨さんもまた、世界の「動的平衡」に嘆息ついているように思えるのである。「方丈記」の文章はこのあと、次のように続く。長くなるけれど引いてみる。

<たましきの都のうちに、棟を並べ、甍を争える、高き、いやしき、人の住ひは、世々を経て尽きせぬものなれど、これをまことかと尋ぬれば、昔ありし家は稀なり。或は去年焼けて今年作れり。或は大家亡びて小家となる。住む人もこれに同じ。所も変わらず、人も多かれど、いにしえ見し人は、二三十人が中に、わづかにひとりふたりなり。朝に死に、夕に生るゝならひ、たゞ水の泡にぞ似りける。不知、生れ死る人、何方より来たりて、何方へか去る。また不知、仮の宿り、誰が為にか心を悩まし、何によりてか目を喜ばしむる。その、主と栖と、無常を争ふさま、いはゞあさがおの露に異ならず。或は露落ちて花残れり。残るといえども朝日に枯れぬ。或は花しぼみて露なほ消えず。消えずといえども夕を待つ事なし。
 
    予(われ)、ものの心を知れりしより、四十あまりの春秋をおくれるあいだに、世の不思議を見る事、やゝたびたびになりぬ。>

「方丈記」のこの文章は、人の世の無常を嘆いたものである、としばしば言われるが、こうして全文を読んでみると、そんな簡単な、分りやすい話ではないのではないか、という気がする。特に、<予(われ)、ものの心を知れりしより、四十あまりの春秋をおくれるあいだに、世の不思議を見る事、やゝたびたびになりぬ。>を目にすると、鴨さんは、「世の無常」ではなく、むしろ、そのようにしてしかありえぬ「世の不思議」を書きたかったのではなかろうか、と思う。
 
    堀田善衛も<ここにある無常感は、決してただひたすらに、人間あわれあわれといったものではない。>(P116「方丈記私記」ちくま文庫)と記している。
 
    さて、先の「方丈記」一文の中に「不知、生れ死る人、何方より来たりて、何方へか去る。」というものがある。これを読むたびに私は、こんなイメージを思い浮かべる。
 
    保育園の園児たちは乳母車のようなものに乗っている、と書いた。今、私の目の前を通り過ぎるこの園児A君が占めている、乳母車のその空間は、しばらく前に別の園児B君が占めていた空間であった。そして来年、その空間は、園児C君によって占められることになるだろう。

   園児だけではない。老人Aが占めている、この世の空間はかつて老人Bの空間であったし、近い将来老人Cの空間に取って代わられるだろうという気づきである。
 
    そしてもう一歩話を進めればこうなる。今、私が占めているこの場所、この空間は、かつて私以外の多くの先人たちに占められていたものであり、それを引き継いで自分が束の間お借りしているにすぎない。そして当然のことのようにして、近い将来、この場所、この空間は私ではない、私に似た誰かに確実に引き継ぐことになる、という「世の不思議」に思い至る。
 
    実はそうであるのは、空間だけでない。水も空気も同様である。原子レベルで考えれば、水素や酸素がもしひとつひとつ履歴書を持っていたら、今私の血管の中を流れる血液の水分は、かつて誰か(恐ろしいほど複数の)の血液の水分を担ってきた水分であることが分るだろう。
 
    というようなことを考えていたときに、内田樹と中沢新一の対談本「日本の文脈」でこんな発言に出会った。無闇に併読していると、アイデアが、トランスフォーマーみたいにガチャガチャと組み合わさる瞬間があるということを言いたくてこの文章を書き始めたのだったが、やっとそろそろ終わりに差し掛かってきた。

   内田氏の発言はこのようなものだった。

<レヴィナスの本を読んでいて僕がいちばん「来た」のは、「始原の遅れ(initial après-coup)」という概念です。人間は何もないところにぽこっと誕生したわけではなく、誰かが自分の場所を空けてくれたので、そこにできたスペースに存在することができた。自分たちがここに存在するために、それ以前にそこにいた何かが姿を消した。その「もう存在しないもの」が、私たちが生き、存在することを可能にしてくれた。そういう考え方です。>(P133「日本の文脈」角川書店)
 
    イニシャル・アプレ・クー。

    クーというのはクーデタのクーである。エタ(英語で言えばstate=政体)のクーである。クーとは何か? クルマの「クーペ」のクーである。クーペはお尻をすぱっとカットしてあるからクーペである。クーとは英語で言えばカットである。政体をカットしてしまうのがクーデタである。

    そのようなものが「クー」である。従って、アプレ・クーとは、スパっとカットしてしまったような「何か大きな激変の後」という意味になる。そのようなものが、われわれがこの世に存在し始める一番最初(イニシャル)にある、というのがこのイニシャル・アプレ・クーである。

    分りにくい話である。分かりにくい話ではあるけれど、つまりこういうことではないかと自分勝手に私は理解している。我々の存在は、とにもかくにも、それに先立つ「大きな激変」があったから可能になったんだよ、と。

    道端の保育園児からイニシャル・アプレ・クーまで、長い道のりであった。あー、疲れた。

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