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2012年11月18日 (日)

尾崎豊 没後20年

   

    数日前の午前中、クルマの中でラジオを聴いていたら、尾崎豊を育てた須藤晃さんというプロデューサーが登場して、尾崎の素顔についてエピソードを語っていた。
 
    今年は、尾崎豊没後20年にあたるのだそうだ。もうそんなになるのかと思った。尾崎豊は1992年4月25日、26歳で亡くなった。その日の早朝、足立区の千住河原町の民家の軒先に全裸で倒れているところを発見されたのである。

    その死後に知ったことであるけれど、私は、尾崎と同じマンションに住んでいた。だから、その数日間、マンションが妙に騒がしかったことを覚えている。

    彼の死の翌日だったか、10歳になる息子と長い長い散歩に出かけた。「尾崎が死んじゃったんだねえ」と語りかけながら、ふたりで延々、歩いた。千住宮本町から三ノ輪を通り、浅草まで出かけて、白鬚橋経由で千住曙橋まで帰った。とても天気のいい日だったように思う。

    ラジオから尾崎の歌が流れ出した。10代の青年が紡ぎだした息苦しいほど切ない曲である。聴きながら、尾崎は天才だったんだなあ、とあらためて思った。60歳を過ぎてしまった私でさえ、まだ、彼の歌を聴いていると心が震えて涙ぐみそうになる。いい年をしたオッサンが、10代の青年の魂の叫びに共感してしまっているのである。

    進むことも退くこともできず、もがき苦しむことしかできない心情が叩きつけられるようにメロディに刻み込まれている。この切なさはいったいなんなのかと思う。あの時代の息苦しさだったのか。それとも、誰の思春期にも舞い降りる厄病のようなものなのか。

    これほどにダークで苛烈な心情を乗せた商業的CDは、尾崎の死後まだ出ていない。そのようなアーティストも出現しなければ、そのようにきわどい、綱渡りのようなプロデュースを許容する土壌もレコード会社からは消え去ってしまったのだろう。

    尾崎豊の前に尾崎豊はなく、その後にも、残念ながらなにもない。

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