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2013年12月

2013年12月21日 (土)

江藤淳の心の闇

    江藤淳の「近代以前」(文春学藝ライブラリー)を読んでいたら、ふと、引っかかる文章に出くわしたので、ここに書き留めておきたい。この本は江戸期の文人や儒者についての論考だが、論考そのものとは何の関係もなく、次のような述懐がさりげなく挟み込まれている。

 

<私は、日常生活が停年をひかえた老サラリーマンの前でなくても容易にひび割れるものであることを、その裂け目から非現実が顔をのぞかせるとき何がおこるかを、少しは識っている。それは「天使」の顔をしているとはかぎらない。しかし、何の顔をしているにせよ、それはわれわれの日常生活のいかだが浮かんでいる深い淵の存在を覗き見させ、われわれの生活がどんな脆弱な仮定の上にいとなまれているかを思い知らせる。>(P269「上田秋成の『狐』」)

 

  なぜ、引っかかったのか? 小学生時代の江藤淳は、家に引きこもって本ばかり読む、不登校児童の先駆けのような幼児期を送っていた。また愛妻を病で亡くした翌年、「自分は全く形骸化してしまった」という遺書を残し、66歳で、風呂の中でカミソリで手首を切って自殺してしまっている。それらの事実の背後に、余人には量りがたい江藤淳の心の闇を感じていたからである。

 

 我々が生きる日常がいかに脆弱なものであるのかを、少しは識っている、と書いた江藤淳は、若き日に、どんな闇を見たのだろうか

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