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2020年8月27日 (木)

立花隆著『知の旅は終わらない 僕が3万冊を読み100冊を書いて考えてきたこと』を読む

昔から、「萬巻の書を読む」という言葉があるけれど、これはまあ多読の比喩のようなもの。しかし立花さんの場合は比喩でもなんでもない。何しろ、本の副題が、「僕が3万冊を読み100冊を書いて考えてきたこと」である。尋常な量ではない。実際、この新書には驚愕のエピソードが随所に登場する。

小学1年生のとき、IQテストで1番になり、教師たちが遠巻きに顔を見に来る。このころ始まった、多読濫読は中学に入って拍車がかかり、学校の図書館のみならず、学外の複数の図書館の本をすべて読んでやろうという壮大な計画に発展。

高校時代には、始まったばかりの旺文社の大学入試模擬試験で全国1番に。進路指導の先生からは東大の文Ⅰ(法学・経済)を進められるが、そんなものに興味はないと、文Ⅱ(文学・教育)を選択し呆れられる。

東大入学後、マルクスの基本的文献、フォイエルバッハ、レーニンなどを読みまくり、ロシアの思想家ベルジャーエフに感化されて読破。専攻は仏文。20世紀の文学のみならず、興味関心の赴くまま、手当たり次第に本を読みあさる。

卒業後は、文藝春秋に入社(先輩に蒟蒻問答でおなじみの堤堯氏がいて、アゴで使われたらしい)したものの、<忙しすぎて読みたい本もろくに読めない。このままいくと、自分がどんどんバカになる>と、2年半で依願退職。

すぐに東大の哲学科に学士入学。ここで<ギリシャ語でプラトンを読み、ラテン語でトマス・アクィナスを読み、フランス語でベルクソンを読み、ドイツ語でヴィトゲンシュタインを読んだ。おまけに学科外の授業で、ヘブライ語の旧約聖書購読、漢文の『荘子集解内篇補正』講義もとっていた。そればかりか、アラビア語とペルシャ語とサンスクリットの授業もとっていた。>が、そんな知性も、東大紛争の激化や、経済的困窮には打ち勝てず、生活のために、なし崩し的に物書き稼業に。

そして昭和49年『文藝春秋』誌で発表した「田中角栄研究 その金脈と人脈」で、その名を知られることとなる。昭和50年には、やはり同誌で「日本共産党の研究」の連載が始まる。余談だが、この時の担当デスクは、若き日の花田紀凱編集長。そして筆者は学生アルバイトでこの取材チームに参加。まじかに立花さんの仕事ぶりを目撃することになった。机の上に大量の本を積み上げ、それを次々に読んでいく。そのスピードには驚嘆させられた。

目撃したのは仕事だけではない。

<いろんなバクチをやったんです。机の上で十円玉をポーンとはじいて、向こうの端っこ、落ちるギリギリのところで止まったら勝ち、というバクチね。それから、ウノというカードゲームにドボンというゲームを組み合わせて、僕が新開発したウノドボン(笑)。これで結構、小遣いを稼いだ奴もいた>。

 学生の分際で筆者もこのゲームに参加。結構稼がせていただいた記憶がある。

 実は後年、この取材チームには共産党のスパイが潜り込んでいたことが発覚(本人の告白による)。しかし、そのスパイ君も結構熱くなってこのウノドボンに参加していたのだから、。牧歌的な時代だったのだ。

余談だが、このバイトの際に、夜食が出た。高級な鰻重だった。それまで鰻重などというものを見たことも食べたこともなかったのでひどく感激。よーし、この会社に就職しようと決断するきっかけになった。

さて、その後立花さんは、宇宙、サル学、脳死、生命科学、言論の自由、がんなど常人にはできぬ幅と奥行きの仕事を精力的にこなしてきた。その様子が、新書という体裁にもかかわらず、実に簡潔に要領よく、かつ面白くまとめられている。                

 その立花さんも、今年で80歳。最後に書きたい本は、『立原道造』と『形而上学』の2冊だという。

<書き終わる前に寿命が尽きてしまうかもしれません。結局、人間というのは、いろんな仕事をやりかけのまま死ぬのだろうし、僕もおそらくはそういう運命を辿るんでしょう。>「知の巨人」も老いの前には無力と知らされ、なんだか淋しい。

 

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2020年4月 月刊「hanada」に寄稿したものです

 

 

 

 

 

 

 

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