アニメ・コミック

2012年6月 3日 (日)

「紙兎ロペ」、勝手にシナリオ、第三弾だ!

 
    久しぶりの更新ですが、性懲りもなく、「紙兎ロペ」の勝手にシナリオ第3弾。今回は「ラーメン屋さん篇」です。

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 下町のラーメン屋のテーブルで、向かい合って座るロペとアキラ。

 ラーメン屋の店主から「ご注文は?」の声がかかる。

アキラ 「あ、オレ、普通の醤油ラーメン。麺固めで」

ロペ 「味噌ラーメン、お願いします」

   向き合って座る二人。特に話題はないので、黙って向き合っている。調理場ではフラ  イパンでもやしを炒める音が聞こえる。
   テーブルの上には、さっき便器から回収したばかりの携帯電話が乗っている。

ロペ 「アキラ先輩、とんだ災難でしたね・・・・・・」

アキラ 「おおよ。ほんとにまいったわ。壊れなくてよかったけど」

ロペ 「先輩、それ、テーブルの上に置いておいて大丈夫すか?」

アキラ 「大丈夫よ。よく拭いたし」

ロペ 「臭い、しません?」

アキラ 「臭い?」

   アキラ、携帯を手にとってくんくん臭いをかぐ。

アキラ 「臭い、まだするわ」

ロペ 「えっ、ど、どんな?」

アキラ 「えーとね、トンコツスープみたいな臭い」

ロペ 「ちょ、ちょっと待って下さいよ。これからトンコツラーメン食べるんでしょ」

アキラ 「うん、食べるよ。だけどなあ、もう、トンコツスープの臭いと便器の臭いの違いが分らなくなったわ」

ロペ「そこまで、言いますか・・・・・」

  「へい、お待ちど」と店員がラーメンをふたつテーブルの上に置く。
  箸入れから、紙に入った割り箸を取り出して、ふたりで黙ってラーメンをすすりはじめる。ズルズル、ズルズル。
  黙々と食べるふたり。と、アキラが口の中に指を入れて歯に詰まったものを取ろうとする。

ロペ 「どうしたんすか?」

アキラ 「なあ、メンマって、よく歯に挟まんない? メンマって縦に繊維が走ってるだろ。なのに、沢庵みたいに長細く切ってあるだろ。これがそもそもの間違いだと、オレは思うわけ」

ロペ 「どうすればいいんですかね?」

アキラ 「だからさ、サイコロみたいに四角く切るべきだと思うんだよ、オレは。崎陽軒のシューマイ弁当に入っているメンマはちゃんと四角いだろ。あれだと歯に挟まらない。よく考えてあると思うよ、あれは。崎陽軒の社長にノーベル平和賞をあげたいくらい」

ロペ 「え、平和賞!」

アキラ 「そ、おれの歯並びが平和に保たれてるからね」

  また、しばらく黙ってらラーメンをすするふたり。ズルズル、ズルズル。

ロペ 「先輩・・・・・、前から気になってたんですけど、メンマとシナチクとザーサイって似てるけど違いはなんですかね?」

アキラ 「おんなじ!」

ロペ 「ええー、おんなじなんですかあ!」

アキラ 「おおよ。もう、オレの人生においては全部おんなじ。ぜーんぶ、中華物、というカテゴリーに一緒くたになって分類されてる」

ロペ 「はあ、そうですか」

アキラ 「それで、これまで困ったことないよ。平穏無事な人生だったよ」

ロペ 「そりゃ、よかったですねえ・・・・・・」

   ラーメンを食べ終えたふたり。ふと見ると、アキラは割り箸を丁寧に紙袋に戻している。その割り箸を元の箸入れに差し戻している。

ロペ 「先輩、何やってんですか?」

アキラ 「見れば分るだろ。使用済みの箸を、戻してるんだよ。また誰かが使ってくれるように」

ロペ 「き、汚いじゃないですか」

アキラ 「何言ってんだ、お前は。これが最近はやりのエコっていうやつだよ。物を知らない奴だねえ」
 
  そういうと、アキラは、爪楊枝入れから楊子を取り出して、先ほど歯に詰まったメンマをシーハーし始める。

アキラ 「だめだよ、もっとエコの勉強しなくちゃ」

ロペ 「はあ、そんなもんすかねえ」

   すると、隣の席にいたキリン先生がぬっと顔を出す。

キリン先生 「アキラ、勉強をしなくちゃならんのはお前だ。だからお前は視野が狭いというとるじゃろ」

アキラ 「あ、先生。ども。お世話になってます」

キリン先生 「お世話になってる、じゃないよ。全く分ってないな、お前は」
   
そういって、キリン先生、楊子挿しに入っている楊子を全部掴んで引き抜いて、楊子の先をアキラに見せる。すべて先が汚れている。

キリン先生 「見ろ、アキラ。この店ではもう、エコは実施されているのだ。お前がシーハーしている爪楊枝も、もう、前に誰かが使ったやつじゃ。アホウ」

アキラ 「ひえーーー」
    

       爪楊枝を投げ出して椅子ごとひっくり返るアキラ。

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2012年4月22日 (日)

紙兎ロペ」、勝手にシナリオ、第二弾は「トイレ編」!

   「紙兎ロペ」のシナリオをまた書いてしまった。今度は「トイレ編」です。御用とお急ぎのないかたはどうぞ。

 

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 ふたりは男子用小便器に並んで向かっている。右にアキラ、左にロペ。画面は彼らの背後からの視点で。 

ロ  先輩、すごかったですね、トム・クルーズ。

 

   おしっこの効果音。ジョジョー。

 

ア  ま、あれくらいは、おれにもできるけど。

 

   ジョジョー。

 

   と、アキラの携帯がブーブーと振動。マナーモードになっているが、誰かから電話がかかってきた。片手は下半身に。片手で携帯を握って、ONに。ピッ。

 

ア  あ、おれ。ん? 今? トイレ。おしっこしてんだわ。映画、見終わったところ。うん。ん? 大丈夫だよ、行けるよ。マジ? ないわ、それ。え? 何? よく聞こえねえ。あーっ!!!!

 

   携帯が手からすべり落ちて、便器の中にカランコロンと。

 

ア  やっべーっ。やっべーよ、これは。

 

   おしっこを止められないアキラ。ジョジョーの効果音は続く。

 

ア  だめだ、止められないわ。

 

   ジョジョー、ジョジョー。

 

ロ  先輩、大変なことになりましたね。

 

   と、気の毒そうに、隣の便器をのぞくロペ。もちろん、まだおしっこをしている。ジョジョー。

 

ア  ちょ、ちょっと。覗かないでよ。人の便器を・・・・・。

 

    アキラの右隣で用を足している人がいる。例の、首の長いキリン先生だった。

 

キリン  アキラ、おまえは視野が狭い。考えも浅い。あそこも小さい! おしっこをするときは、おしっこだけする。おしっこしながら電話で話をしようなんて、30年早い!

 

ア   あ、先生! すいません、つい、うっかり……。手が滑って。

 

キ   だから、おまえは浅はかだというのだ。今、何が重要なのかをよく考え、プライオリティをつけて行動しなさい。分かりましたか?

 

ア   はい、分かりました、先生。すいません。ロイヤルミルクティ、ですね。

キ   違う。プライオリティ。

 

    用を終えて悠然と去っていくキリン先生。見送るアキラとロペ。画面は便器の側からに変わる。アキラとロペの正面からのバストショット。二人はアキラの便器の中の携帯を、どうしたものかと呆然と見おろしている。

 

ロ  先輩、どうします?

 

ア  どうするって、言っても……。あっ!!

 

    突然、便器の中で、携帯がブルブルし始める。誰かから電話がかかってきたのだ。陶器の便器の中を、振動で携帯が動き回る音が聞こえる。カラカラ、ゴロゴロ、カラカラ、カラカラ……。

 

ロ  先輩、携帯、かかってきてますよ。

 

ア  うっせーな、分かってるよ。ブルブルいってんだから、そのくらいのことはおれにも分かるよ、ったく、もう。

 

   しばらくブルブルいったあとに、ピタtッと振動が止まる。と、小さな声が聞こえる。「ただ今、留守にしております。ご用の方は、ピーッと鳴ったあとに、用件をお吹き込み下さい。ピーッ」。しばし、思案したあと、アキラは顔だけを便器に近づけて、大声で便器に話しかける。

 

ア  あ、おれ、アキラ。あのね、今、携帯、便器の中なの! そんで、手で持てないの! 聞こえてる? わりーけど、あとでもう一回電話して。そう、携帯、便器の中なの!

 

   画面はトイレ全体を俯瞰で。大声でわめくアキラを、用を足している全員が呆れて見ている。

 

ロ  先輩、これ。

 

   と言って、ロペは先ほど捨てたポップコーンの空き箱を拾って持ってきた。

 

ア  ん? これで、拾え、と?

 

    ロペ、うなづく。

 

ア  じゃあ、やってみるか。

 

   便器の中の携帯を、なんとか手を汚さないようにして箱の中に入れるアキラ。まるで、金魚すくいのようにもみえる。

 

ア  よっしゃあー、やったあ。

 

ロ  先輩、やりましたね。じゃあ、あそこの洗面台で洗いましょう。

 

ア  わかった。そうしよう。

 

    落とさないように、しずくをこぼさないように、そーっと洗面台に近づくふたり。と、その時、先ほどのカニさんが入ってきて、アキラの肩にぶつかる。すべるアキラ。手に持った箱から携帯が飛び出て、それがロペの顔の方に飛んでいく。ここの描写はスローモーション。ゆっくりと、ロペの顔に近づく携帯。最後には、その口にところにペタリと張り付く。

 

ロ   うわあああああああーーー!!

 

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2012年4月16日 (月)

「紙兎ロペ」のシナリオを勝手に書いてみました

        大好きなアニメに「紙兎ロペ」というものがある。東宝系(?)の映画館で、本編が上映される前に、サービスで上映される、なんとも形容のむつかしい脱力系のアニメである。

 

  先日は、その「紙兎ロペ」の劇場用公開作品(なので当然長尺である)の試写会に行ってきた。このアニメの持ち味は短編にあるので八十数分の長い話になると、従来の面白さを保持しにくいのではないかと思ったが、意外に楽しく仕上がっていた。大好きなキャラも次々登場で、大満足であった。

 

  そして、ここが私の軽薄なところなのだが、自分でもこのアニメのシナリオを書いてみようとなぜか、思い立ってしまったのである。別に誰かに頼まれたわけでもない。暇なわけでもないどころか、めちゃくちゃ忙しい身の上である。それにもかかわらず、睡眠時間を削って書いてみようと思う自分がよくわからない。

 

  よくわからないが、とにかく、書き上げてしまったので、ここで公開することにした。親しい友達に読んでもらったら、「別に面白くなーい」との感想だったので、多分、そうなのだろうと思う。しかし、そのまま人目に触れずに埋もれさせてしまうのももったいない気がするので、堂々公開にチャレンジしてみるのである。

 

 

 

  今回は、映画館を舞台にしたストーリーである。

 

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   映画館の座席に座っている、ロペとアキラ。
     画面は、ふたりを正面から、つまりスクリーンの方から捉えている。
     アキラ、手にポップコーン。山盛りになっている。

 

ロペ   いよいよ始まりますね。映画。

 

アキラ  うん。おれさ、映画が始まる前には、必ず、昔の友達の佐藤道夫くんを  思い出すんだわ。みんな、みっちゃんって呼んでたんだけど。

 

 

ロ   はあ。

 

ア   みっちゃんとはよく一緒に遊んだんだけどさ、みっちゃん、縄跳びもできな  いし、木登りもできないし、なんにもできねーやつなの。「ああ、ぼく、で、できません・・・」って。

 

ロ   はあ・・・・・(無反応)。

 

ア   それで、おれたちは、みっちゃんのこと、「みっちゃん・インポシブル」って呼ぶようになったんだわ。

 

ロ   ・・・・・・・。

 

ア   きついね、その反応。・・・・・・・(手に持っていたポップコーンを大量に口に入れる)。

 

ロ   その、みっちゃんって、トム・クルーズに似てたんすか?

 

ア   うわわけないたろ(そんなわけ、ないだろう、と言いたいのだが口の中にポップコーンがいっぱい入っているのでうまくしゃべれない)。

 

ロ   先輩、そのポップコーン、甘すぎません? キャラメル味OKっすか?

 

ア   この甘い香りがマジ好き。
 
       そういって、またもや大量にポップコーンをくちに放り込む。
       突然ゲホゲホせき込む。

 

ア   うううう、ポップコーンのさ、はしっこのイガイガしたところがあるだろ。ちょっと茶色くなったところ。

 

ロ   ああ、ありますね。はしっこにね。

 

ア   あれさ、よく喉にひっかからねえ? このイガイガ、おれ嫌い。ううう、ゲホゲホ。

 

ロ   沢山口の中に入れすぎでしょ、先輩。

 

ア   何言ってんだ、おまえ。この瞬間にも首都圏直下型大地震が来るかもしれないのに、のんびり食ってられねーし。早く食べないと、地震が来たらこぼれちゃうだろ。

 

ロ   はあ。

 

     画面は座席の背後から、二人をとらえるように転換。正面にスクリーンが見えて、ロペ、アキラの後ろ姿が見える。座席に背もたれからロペの耳とアキラのしっぽがぴょんと見える。二人の前の席は空席になっている。と、突然そこに巨体のクマがどかん、と座る。

 

ア・ロ  うわあーー。

 

ア   な、なんだよー。全然前が見えねーし。

 

ロ   クマっちゃいましたねえ。先輩、席、移りましょうか?

 

ア   え? なんで俺たちが席を移らなきゃいけないのよ。前のこいつをなんとかしよう。

 

ロ   なんとかって?

 

ア   バーンとかましたれ。

 

ロ   突然、関西弁ですね、先輩。

 

ア   ん? うん、こういうときだけね。おう、おっさん、おっさん。前が見えねえわ。もっと小さくなってよ。

 

   クマさんは微動だにしない。歯牙にもかけない様子。

 

ロ  先輩、全然ダメですね。

 

ア  おっさん、おう、おっさん。

 

   全然反応がないので、たまりかねてアキラ、ポップコーンの2,3粒を
     クマの頭に投げつける。

 

ロ  先輩、だ、大丈夫っすか?

 

ア  おい、おっさん、おっさん。

 

   突然クマが振り返る。なんと、巨体だけれど、口にびっちり口紅を塗っている。
     女性だったのである。

 

ア・ロ  うわあーーー。

 

クマ  何よー、おっさん、おっさんって、マジうるさいんだけど。レイディにマジ失礼なんですけど。 頭がキャラメル味になっちゃったし。どうしてくれるのよ。

 

   アキラ、ロペ、身をかがめて逃げるように、席を移動。

 

ア   ふー、アブねえアブねえ。まさか女だとは思わなかったわ。

 

ロ   びっくりしましたねえ。あれ、先輩、ポップコーンの箱、がっちり握ってますけどからっぽですよ。

 

     画面は依然として二人の背後から。座席の背もたれの上から耳としっぽがぴょんと出ている。二人のすぐ後ろの席になんだか大きくて四角い動物が座る。カニである。カニさんの目の前を耳としっぽが、ピョコピョコ動いている。

 

ア   あれ、ほんとだ。へへへへ、直下型地震でもないのに、なくなったわ。

 

ロ   へへへへ。もったいねえ。

 

カニ  ちょっと、あんたたち。いいかげんにしてよ。何よ、その耳としっぽ。めっちゃうざいんだけど。

 

ア・ロ   驚いて振り返ると、カニさんがはさみをチョッキンチョッキンさせている。

 

ア・ロ   やべ! 逃げるぞ。

 

     ポップコーンの箱を投げ捨てて耳を押さえながら、脱兎のごとく逃げるふたり。

 

 

 

 

 

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2010年12月19日 (日)

真鍋昌平は、ただ者ではない

   真鍋昌平のマンガ、「闇金ウシジマくん」全20巻を読んでドギモを抜かれた話は11月に書いた。
http://kingkingko.cocolog-nifty.com/blog/2010/11/post.html

   勧善懲悪のマンガを読みなれていると、「欲望を制御できない人々が招来する絶望的な現実」という、どうしようもなく救い難い話を読み続ける作業は、とても娯楽と呼べるようなものではない。ほとんど、苦役に近いものがある。だって、全20巻すべて、読後に、いやーな感覚がずっしりと残るのだから。

  いったい、こんなマンガを描く真鍋昌平という漫画家はどのような人物なのだろうかという興味がわいてきて、彼の処女作とも呼ぶべき「SMUGGLER」(2000年)と「THE END」(2001年)をAmazonで取り寄せた(こういうとき、Amazonは本当に便利ですね)。

  両作品を読んで、より一層、この漫画家の才能の底知れなさに驚かされた。

    確かに初期作品は、「作画」という点では、現在の力量よりもずっと劣っている。意識的に用いていたであろう野生的な描線も、物語を推進する力とはならず、却って難解にしてしまっている節がなくもない(だからなのか、「THE END」の後半からこの筆致は減少して、現在おなじみのタッチに変わってくる)。

  しかし、そんなことを補って余りある「異様な構想力」が両作品にはみなぎっている。「闇金ウシジマくん」で描かれる世界は、現実に今、存在し、その実態を読者が想像することができる世界である。まだ、読者の想像力が到達することのできる世界が描かれている。

   だが、「SMUGGLER」と「THE END」はそうではない。細かくは書かないが、「なんだかよく分らない不気味なもの」や「想像もつかない異様な事態」が次々に読者に襲いかかってくるのである。そのストーリー展開の腕力は、並々ならぬものがる。

   願わくば、「闇金~」を早く終えて、本来の、「誰も描くことができない世界を描く」行為にチャレンジしてもらえないものだろうか。

    真鍋昌平はただものではない。

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2010年3月15日 (月)

井上雄彦と同時代人であることの幸福

 
    内田樹氏が、ご自身のブログ(2010/03/15)で、天保山のサントリーミュージアムに井上雄彦「最後のマンガ展・重版・大阪編」を見に行った話を書いておられる。しかも、すでに3回も訪れたとも。

  ブログの最後を、
<いま、このような真率なレスペクトを若者たちから向けられる大人がどれだけ存在するであろう。
同時代に井上雄彦のようなクリエイターを得たことを私は幸運だと思う。>
 と締めくくっておられるが、まことにその通りだと私も思う。

    一昨年だったか、上野の森で開催された「最後のマンガ展」に私も3度も足を運んだ。その時に大いに感動して、このブログに何度も何度も文章を書いたことを思い出した(下にURLを書いておきます。お暇なかたは覗いて見てください)。

    http://kingkingko.cocolog-nifty.com/blog/cat15215493/index.html

    http://kingkingko.cocolog-nifty.com/blog/2008/03/post_a4dc.html

  なぜ、井上雅彦のマンガは泣けるのか、誰か解説してくれませんか。

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2008年6月25日 (水)

みたび、「井上雄彦 最後のマンガ展」に

 しばらく更新していないと、早く更新しろ、という督促メールが知人から届けられる。趣味で始めたのに、なんだかいつのまにか、仕事みたいになってきた。確かに自分自身も、長らくお暇にしていると、夏休みの宿題を片付けていない中学生のように落ち着かない気分になってくる。
 
  多分、人はあきれるだろうが、またしても上野の森美術館に行ってきた。もちろん、「井上雄彦 最後のマンガ展」を見にである。週末の夜、閉館後に、関係者を対象に、内覧会が催されたのだが、ちゃっかり、そこにもぐりこんだのである。

  この内覧会は、同展を記録するDVDの撮影のために催された。不特定多数をビデオにおさめるのは具合が悪い。ならば、関係者を呼び集めて、記録しておこう、ということらしい。入り口で、撮影されることを潔しとしない方は申し出てほしい、そのことを知らせるための腕章を手渡すので、と告げられる。だが、そんなひとは一人もいなかったように思う。

  入り口で入場の順番を並んでいると、井上氏のインタビューをしたり、一緒に旅をしてレポートを書いたりしているI氏を紹介される。初対面だが、「実はこれで3回目の鑑賞なんです」と告げる。「しかも、前の2回では泣いちゃいました」と恥ずかしながら告白すると、「あ、あの母子像のところでしょ」とすぐに指摘される。「はあ、そうなんです・・・」。
 
  なんのことはない、関係者の間では、あの「母子像」のコーナーは、泣かせどころとして周知のことだったのである。そこにしっかりはまっている自分のことを考えると、すこし複雑な気持ちになる。

  内覧会で、井上氏本人にお会いできるやもしれぬと、ひそかに期待していたが、残念ながらお目にかかることはできなかった。もっとも、お会いできたとしても、何をどう話していいのか困ったかもしれない。「感動して泣いちゃいました」と、いい歳をしたおっさんに話しかけられても、井上氏も困惑しただろう。

  ご本人にはお目にかかれなかったが、井上夫人を遠くから見かけた。そして、驚いたのは、その足元に二人の小さな男の子がまとわりついていたことだった。井上ジュニアであるその少年たちは、背格好から想像するに多分、双子である。母親のそばに立つその二人の少年を見ていてすぐに理解したのである。
 
  あの母子像は、自身の子供と妻なのではないか、と。母親の胸に顔を埋めて、気持ちよさそうに眠っている武蔵は、他でもない、井上雄彦のわが子なのではないか、と。そういえば、会場の入り口に掲げられた小さな男の子の絵を、私は武蔵の幼少期の肖像だと思い込んでいたが、よーく眺めてみると、井上雄彦その人に顔が似ている。そうである、あれは、わが子に違いない。

  そこまで思い至ったときに、悟ったのである。井上雄彦にとっての武蔵と小次郎は、今、母の足元でじゃれている二人の男の子にほかならないのだと。

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2008年6月16日 (月)

「ブルータス」井上雄彦特集に拍手

「ブルータス」最新号が「緊急特集 井上雄彦」を組んでいるというので、急ぎ手に入れてざっと見てみた。うまいね、ブルータスは。上野の森美術館で「最後の漫画展」を開催中の、このタイミングで井上特集を組んでみせる、というのが。なんでも23万部も刷ったそうな、噂では。そんなに刷る男性誌、最近は聞いたことないからね。

 井上ファンを自認する、多忙の内田樹を井上のスタジオにまで連れて行って写真を撮っているし、井上のアメリカへの旅にも同行してるし、「未公開ネーム&メモ」や、展覧会入り口に掲げられてある人相の悪い武蔵の「ポスター」までおまけでつけてある。がんばったね、編集者は。

 さて、その記事の中で美術史家の山下裕二氏が語っている話が面白かったので引用しておきたい。美術館で井上雄彦の筆を使用した漫画を初めて見たとき、「これはすでにアートである」と感嘆したのだが、似たような感懐を山下氏も述べている。

<はっきり言って、これほどの線が引ける日本画家は、第二次世界大戦以降ひとりとして存在していません。井上さんは存命日本人画家の誰よりも画力がある。習うでもなく、独力でここまで「筆ネイティブ」に迫る画力を身につけた人が現代にもいるんだと、心底感心しました。>

「筆ネイティブ」とは、鏑木清方や上村松園あたりを最後に絶滅してしまった、「物心ついた時から筆を握り、筆で描くことが血肉化している人」のこと。

<僕はプロであることを突き詰めていった末に出てくる「すごみ」というものが大好きですが、井上さんも自分で自分を鍛え上げてしまった人。毎週の締め切りに追われ、大勢の読者を満足させなければならないマンガ家であるがゆえに、ネイティブに遜色ないほどの筆力を短期間で身につけることができたのでしょう。ホント、びっくりです。>

 確かに、私も、上野でホントにびっくりした。

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2008年6月10日 (火)

もういちど「井上雄彦 最後のマンガ展」へ

  またしても、上野の森美術館に出かけ、「井上雄彦 最後のマンガ展」をもう一度展覧してみた。

  なぜ、泣いてしまったのか、そのことを確認しに出かけたのである。ちょっと体調が悪くて、気が弱くなっていたからなのか。それとも、展示された漫画の力が強烈だからなのか。
「なんたって、今日は2回目だから、もう泣かないぜ」と自分に言い聞かせつつ、ゆっくりと会場を見て回る。泣くわけないじゃないか、たかが漫画だろ、泣くわけない、泣くわけない・・・・。

  だめだ。「母親に抱きしめられた幼児の武蔵」の絵のところにくると、やっぱり涙が滲む。なぜ、「母と子」の図像に自分はこんなに弱いのか。何か、自分では察知できていない大きなトラウマがあるのではなかろうか、と思ってしまう。

  そして、その次の展示コーナーには、左右に大きく広がる浜辺の絵が掲げられている。足元には本物の砂が敷き詰められている。


  その浜辺で、少年の小次郎がにこやかに武蔵を待っている。
  どうしたんだよ、遅かったじゃないか、というような懐かしい表情で。
  少年の武蔵は、小次郎にエスコートされるようにして、冥界に向かう。
  さあ、行こう、と誘われて。
  二人の少年の姿は、浜辺の彼方に小さくなっていく。
  
  この叙情に、自分はとても打ち克てない。

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2008年6月 9日 (月)

「井上雄彦 最後のマンガ展」を観に行く

  上野の森美術館でやっている「井上雄彦 最後のマンガ展」に行ってきた。というのも、10日間ほどかけて「バガボンド」28巻(今のところの全冊)を夢中になって読破。その27巻目か28巻目に、この催し物の案内があって、妙に気になったからである。
 まず、美術館で「バガボンド」の展示会をやる、というのがいったいどういうことなのか興味がわいたのと、それと同時に、どなたかのブログを読んでいたら、「井上雄彦の展覧会を見た帰りに、上野駅に続く橋の上で落涙した」という記述があって、美術館の展示物を見て思わず泣いてしまった、という人物がいることに驚いたからである。これは、観に行くしかあるまい、と思い立ち、平日の早朝、ひとり上野に出かけたのだった。

 開館直後というのに結構な観客でにぎわっていた。20代のファンと思しき若者たちが、原画を食い入るようにみつめている。上野の森美術館そのものが1冊の本のように見立てられ、そこで、「武蔵の死」をテーマに一話の物語が展開されている。この展示会場のために書き下ろされた、濃密な物語である。マンガ誌を読むように、展示は右から左に流れるように工夫されている。

 入場するとすぐに、弁当箱くらいの大きさの絵が掲げてある。多分、赤ん坊のころの武蔵の絵である。以降は、生まれ育った故郷の風景や、武蔵の人生に関わった多くの人々(その多くは切り殺された人たちであるが)の肖像が登場する。なかには、大きな日本画のアートとして十分に通用するであろう、筆で描かれた「武蔵立像」もある。その筆遣いは、もはや漫画のレベルではないようにも思える。

 その展示された絵を見続けているうちに、自分の心に思わぬことが起きた。

  今まさに死に行かんとする武蔵に対して、冥界の父親が問う。まだ、この世の未練を断ち切れぬお前に必要なものはなんなのだ。「あと、何が、欲しいのだ?」 そして、次の展示コーナーにさしかかると、そこには「赤ん坊を抱きしめて立つ母親」の巨大な絵が何枚か掲げられていた。その場所はひときわ照明が明るく(感じられた)、なんとなく幸せな雰囲気が漂っている。赤ん坊の武蔵。幼児期の武蔵。子どもの頃の武蔵。どの武蔵も、母親に抱きしめられて、幸せそうに見える。とても穏やかに見える。この絵を見た途端に、この穏やかな空気に包まれているうちに、胸が熱くなり、涙がこぼれおちてきてしまったのである。

 聖母像、なのだろうか。
 血で血を洗う、凄惨な人生を辿ってきた武蔵の最後の最後の一瞬に、頭をよぎったのはこんな母親の記憶だったのかもしれない、と思うと、濁りきったおっさんの心にも一種のカタルシスが訪れたのである。美術館の要所要所に配置された監視員に悟られぬようにあわてて涙をぬぐいながら、「歳をとって涙もろくなっちゃったのかなあ」と思いつつ、背中をまるめて外に転び出たのだった。いったい、なんで涙が出てくるんだろうと不思議に思いつつ。

 が、次に驚いたのは、自分のすぐ後ろから出てきた、どこの誰だか知らない若い女性の観客も同様に泣いていたのである。目頭を赤くはらしていたのである。井上雄彦の絵には、人を泣かせる何らかの力があることをその時にしっかりと理解させられたように思う。

 売店で、展覧会のカタログやDVDや単行本などを大人買いして、じっくり読んでいるうちに、井上雄彦の絵がなぜ、人を感動させるのか少しだけ分かった気がした。そのことについて書き始めると長くなるので、一言だけ書いておくと、井上は、いつも「本気である」からなのだと思う。仕事に手抜きがない。全身全霊をこめて一つのことに打ち込む。たぶん、漫画家にならなくても、彫刻家だろうがサラリーマンだろうが、何になっていたとしても、彼は一家を成していたことだろうと思う。真摯に物事に対処する、その「生きる姿勢」に感動してしまうのである。

「SLAM DUNK」の連載が終了した後、04年12月に、神奈川にあるすでに廃校となってしまった高校の教室を利用して、その後の「SLAM DUNK」について、3日間だけのイベントを行っている。二十数枚の黒板にその後の彼らについての漫画を描いたのである。その模様を、手に入れたDVDで知ったのだが、井上は何日もかけて黒板に向かう。立って描くわけだから手がしびれてくる。時に腕を振りながら、数日間かけて描ききる。開催日当日、井上は陰に隠れて、ファンたちの反応をこっそり見つめている。ほほえましい光景である。

  私が感動したのは、実はイベント終了時の井上のふるまいだった。
  イベントが終わり、夜が訪れ、人っ子一人いなくなった教室をひとつひとつ巡りながら、彼は、苦心して黒板に描いた漫画を消し始めたのである。「こうすることでしか、自分の気持ちを納得させられないから」と。そのままにしておけば、自然に消え去っていくであろう、その絵を、一点一点、いとおしむように消して回る彼の姿を見ているうちに、やはり私は胸をつかれたのである。

  そして、この漫画家はただものではない、と強く思ったのである。

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