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2011年9月26日 (月)

目から水晶体が落ちる

 
    無事、手術は終了しました。終わったのは1時間ほど前ですが、もうPCの前に座っています。眼帯はしていません。目がゴロゴロします。なんとなく痛いような、だるいような感覚があります。

    手術をしたのは左目だけですが、左の後頭部やこめかみにドーンとした軽い痛みがあります。

    記憶が鮮やかなうちに記録を。

    1時半に来いと言われたので、時刻通りに東京歯科大学水道橋病院へ。眼科の手術なのに「歯科大学」というところが、何ともいえず不安でならないけど、眼内レンズ挿入手術の第一人者がここにいるというのだから仕方ない。

    ベンチで待つことしばし。名前を呼ばれて手術室に入ると、手術着に着替えるように言われる。薄い黄緑色のガウン状のものを羽織、薄い水色のヘアキャップをかぶらされる。

    水色のサンダルを履いて歩を進めると、そこには同じような格好をした先客が4人。いい年をしたじいいちゃん、ばあちゃんがヘアキャップをかぶって神妙な顔つきで座っている。蛍光灯の明かりがやけに明るい。リノリウムも明るい色で、とても人工的な空間にいる感じがする。

    体温と血圧を測り、そののち4種類の目薬を3回さす。瞳孔を拡大させる薬もあって、今でも瞳孔が開きっぱなしで、とても物が見ずらい。どちらの目を手術するのですか、と聞かれたので左と答えると、左の眉毛の上に目印を貼られる。

    約1時間ほどベンチの控室で待つ。絞首刑の順番を待っている囚人もこんな感じだろうなあ、と思う。右向けと言われたら素直に右を向くし、立てと言われたら従順に立ち上がる。完全に無抵抗な気分。もう、どうにでもして頂戴、という気分になってくる。

    ついに、順番が! 「はい、手術室に入ってください」と言われて、おお、入ったろやないか、と急に関西人になる。ドーンと胸を張り、どっからでもかかってこい、という気分で歯医者の椅子のようなものに座ると、背もたれがぐーんと後ろに倒れて、完全に水平状態。「どっからでもかかってこんかい!」感が急にしぼむ。コエーヨー。

    先生が機械的に、手術用の布を体にかけ、顔にも布らしきものかけ、左目の周りのなんだかセロテープの親玉のようなものを貼ったように思う。何しろ見えないのだからしようがない。先生が機械的なのも当然で、一日に20人ほどの手術をこなすらしい。

    とおもうと、金属のような物(見えていない)で目が瞬きをしないように無理矢理に開いて固定をされる。液体(水なのか薬なのかよくわからい)をシャーシャーと景気よくかけられる。

    左腕には血圧計を、右手の人差し指には脈拍を測るための器具を取り付けられる。

    と思うまもなく手術開始。針状の物で、目玉をぐりぐりされている感覚しかない。水晶体を砕いて吸い出す作業である。

    その間瞬きすることもできず、ずっと頭上のライトを見つめる。瞳孔が開いているからまぶしくてしかたがない。我慢して、ずっとそのライトを見続ける。目玉の中をいじくられていることがわかる。

    視界がシュールである。これまで見たこともない光景が抽象画のように眼前に広がる。明るい3つのライトがぐにゅぐにゅ歪む。「どうですか?」と聞かれたので「とても視界がシュールです」と答えると、「え?」という反応。「シュール」という単語が適切ではなかったのかもしれない。

   そばにいた男性医師が「そうですね、シュールですね」とフォローしてくれる.

  「あー、ちょっとまずいなあ。癒着してる。昔怪我したことありますか?」
  「いえ、ないですけど・・」
   と答えつつ、中学生の頃、野球部で思いっきりボールをぶつけたことがあったような気がしてきた。
  「先生、癒着は後嚢にしているんですか?」
  「いえ、前嚢の上の部分に癒着してるんです。でももうすぐとれますから、ちょっと待ってね」
   グリグリグリ。

  「すこし押される感じがするけど、我慢してね」
   グリグリグリ。

   と、多分、水晶体が全摘されたのだと思う。視野がゆがみ、少し暗くなる。このまま放置されれば、左目は完全にアウトになる。

  「さ、これからレンズを入れますから、もう少し頑張ってね」
   グリグリ。3ミリほどの穴からアクリルのレンズを折りたたんで、力ずくで挿入。位置を落ち着かせる。

  「はい、終わりましたよ」

   手術時間は約10分。今から1時間半前に終わった。今どきの眼科手術はそういうものなのか、眼帯はない。しかし、左目はますますボヤーとしてきて今は何にも見えない。多焦点レンズは同心円状に溝がついている。近くを見る用の部分と、遠くを見る用の部分が交互に同心円状になっているのだが、その同心円状のハーローが見えている。

   術後は遠くがよく見えていたが、今は近くも遠くもぼんやりだ。

   明日になるともうすこし見えるようになるのか? それともこのままなのか。そうだとしたら、手術しないほうがよかったってことになるぞ。

  以上、多焦点眼内レンズ挿入記のお粗末。

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2010年8月13日 (金)

長野県松本市に行ったなら

    夏休みで帰省中。和歌山の田舎は暑い。外に出る気にもならず、エアコンをきかせた室内で、グダグダとお昼寝に次ぐお昼寝。目が覚めたら全米プロの中継を観、疲れたらまたお昼寝。完全にグダグダ・モード。

    先週末の土日は、ヤボ用(といってもゴルフしかないんだけど)で、ゲンちゃんと長野県の松本へ。松本で出会った気に入ったものを3点紹介。

  その一。泊まったホテルは、松本市内の「ブエナビスタ」。ここの朝食ブッフェは素晴らしい完成度である。どこに出しても恥ずかしくない。和食、洋食の両方を用意しているのだが、様々な場面で行き届いた配慮がなされている。

  これまで、日本だけではなく、世界中の名のあるホテルに泊まってきたが、そのどのホテルの朝食ブッフェと比しても遜色はない。高価な食材を利用しているとか、品数が多いというのではない。かゆいところに手がとどくような配慮が見られる、ということなのである。

  普通、牛乳なんてのは一箇所にしか置かれていない。だいたい、グレープフルーツ・ジュースやオレンジ・ジュースの端にガラスのポットに入って置かれているものだが、ここでは、ヨーグルトの横にも置かれている。そんな細かい配慮があちこちにある。

  いったい、どういう経歴の人がディレクションをしているのか大いに興味がある。

    その2。松本市内にある重要文化財である「旧開智学校」を見学する。この学校は明治6年に建てられた、木造の擬似的洋館の立派な小学校である。江戸時代、松本には600ほどの寺子屋があったという。その数は、全国的に見ても突出的に多いらしい。いかにも教育県らしいエピソードである。

    明治維新後、そんな松本市民は自分たちで金を出しあって、この小学校の建設資金とした。建てたのは松本の大工棟梁だが、その時期に東京に建ち始めた洋館をくまなく研究したに違いない。再建保存されている、広壮なこの小学校を見てまわると、見よう見まねで建てた擬似洋館のあちらこちらに苦心のあとが見られる。

    ファサードにある彫刻は、どう見ても欄間の彫り物のようなのだが、それはご愛敬。

    閉館間際の夕刻、教室を見てまわる。昔の材料をそのまま使用して再建した校舎の廊下は黒く古びている。壊れてしまいそうな小さな机や椅子が並んでいる。教室の入口のサンは子供たちに長年にわたって踏まれ続けたせいで驚くほど滑かにすり減っている。

  階段も廊下もすり減っている。100年以上経った校舎に流れた歳月を思いをはせながら、そこを走り回っていった数万人の小学生のことを思った。そして、自分たちの身銭を切って、新しい国の将来を託す子供たちのために、このように立派な小学校を建設した松本市民たちのことを思った。

  その時代に、松本市民たちが「子供たちの教育」に対して抱いていた「夢と情熱」と、そして胸が熱くなるような「純情」が、果たして今の我々にあるだろうか、と考え込んだ。

    その3。代々木の駅前から代ゼミの前を通って、まっすぐ西参道のほうへ伸びる道がある。その道がガードをくぐったすぐ右側のライオンズ・マンションの1階に「ライオン・シェア」というカレー屋がある。

  ラジオ局に勤めていた女性が一念発起して始めたカレー屋である。その顛末については店主Yさんのブログに詳しい。http://www.lionshare.jp/

    ブログの右にお店が誕生するまでの、面白いエッセイが載っている。

  この店のキーマカレーが好きで月に一度は訪れているが、じつはYさんは、この店をオープンする前に、松本市内にある「シュプラ」という店で1年間修行している。その時代の厳しくもおかしい思い出がエッセイには綴られている。

  その「シュプラ」に行ってきた。松本市内を一望できる高台にその店はある。大きな窓を通して、まるでジオラマのように山間の平野にびっしりと建ち並んだ松本の町並みを眺めることができるのだ。

  店内には古びたキーボードが物置きとなっている。どうやら店主はミュージシャンだったらしい。店内にはBGMで60年代の楽曲が延々流れている。加山雄三からフランス・ギャルまで。涙がでそうなくらいに懐かしい曲を聴きながら、本格的なカレーを食べた。

  店内を切り盛りする奥さんらしき女性に、「この音楽は有線ですか?」と聞いたところ、「いいえ、店主が自分で編集しています」との返事。

  帰り際、厨房の店主をちらと観察したが、なかなかに頑固そうというか、こだわりの人のように見えた。松本に行った際には是非「シュプラ」に足を運ぶことをお勧めしたい。あ、それから忘れちゃいけないのは、塩川の昔懐かしいアイスクリームもね。http://park16.wakwak.com/~akai_ringo/shinsyu/shiokawa.htm

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2008年9月29日 (月)

博多の幸福

  

  この土日に、学生時代の友人を訪ねて博多に行ってきた。目的は、ゴルフ。年に1、2回一緒にラウンドしている仲だが、たまにはは福岡に来ないか、と誘われて、気がついたら飛行機に乗ってしまっていた。

  友あり、遠方までおしかける。また楽しからずや。

  いつもとは違う日常が、案内人つきで待っているのだから、楽しくないわけがない。今回の旅の特筆事項を記しておきたい。

① 博多には美人が多い! 街中を歩いていて、おっと思う美人に遭遇する確立が東京の5倍は高い、気がする。しかも、「韓国ドラマに出てくる美女」系美人なので、やはり、そのルーツは半島にあるのだろうと思う。500年前か1000年前か、あるいは国境という概念が誕生する前なのかは分からないが、半島からどんどこ人が流入していたのではないか。私の持論、「日本の美女は、ルーツをたどれば、すべて韓国系である」を立証する事象である、って勝手にそう思っているだけでなんにも立証してはいないけれど。あるいは、単に、自分が「韓国系美人」が好きなだけなのかもしれないが・・・・。
その手の美人は、西日本の日本海側に多いように思う。誰か、DNAを調べてくれないだろうか。

② 土曜日は、福岡県糸島郡の海沿いにある、志摩シーサイドカントリークラブヘ。天気は清明、爽やかな秋風が吹き、目前には玄界灘が広がる。もう、最高である。スコアも私にとっては上出来の89。はるか洋上には、壱岐島の薄い輪郭が望める。志摩といえば、伊勢志摩をすぐに思い浮かべるが、福岡にも志摩があり、しかも両者とも半島のように海に突き出している土地であることを考えると、古代の人々は、このような土地の状態を「シマ」と呼んだのだなあ、と思う。単に、海上にある陸地だけを「シマ」と呼んだわけではないのだと思い知らされる。

翌日日曜日は古賀ゴルフ・クラブへ。こちらは志摩シーサイドカントリークラブとはうって変わって、凶悪な形相のゴルフ場である。10月に日本オープンゴルフ選手権がここで開催されるらしいのだが、恐るべき背丈のラフがぼうぼうに伸びていて、フェアウェーをひとたびはずすともう、ボールのありかが分からなくなる。プレー時間の三分の一はボール探しに費やされ、しかもすべて砲台グリーン。おまけにグリーンの形状は馬の背のようで、ボールが乗った、と思ってもあっというまに、ころころと外に転がり出る。うんにゃろー、金返せ! と呪いたくなるようなゴルフ場である。
テレビでプロの試合を見ていたら、ときどき解説者が、「ラフに入れるよりバンカーに入れたほうがいい」とか「必ず花道に置かなくてはいけない」といっているのを聞いて、バンカーよりもラフの方がずっといいのに、この人は何を言っているのか、と思ったけれど、やっと意味が分かった。ラフに入れるより、バンカーの方が何倍か楽であることを。
石川遼くんも日本オープンに出場するらしいので、いったいどう攻略するのか楽しみである。

③ 博多は食い物が安くて、かつ旨い! 天神にある割烹料理屋 「よし田」というところに出かけたが、「呼子のイカの刺身」は驚くべきシロモノである。絶品である。呼子という漁港で揚がるイカを丸ごと1匹というのか一杯というのか知らないが、まるまる刺身にしてくれる。お皿の上にでれんと横たわるイカ君は脚と目の玉(?)の部分はまだうにょうにょと蠢いていて、ちょうど胴の部分に、3ミリ幅くらいにスライスされた刺身がきれいに並べられている。驚いたのは透明なことである。ところてんのように透き通っているのである。これをわさび+しょうが醤油でいただく。うまいぞお。

もぞもぞ蠢く頭の部分を、目を近づけてじーっと観ていると、イカ君が呼吸(?)するたびにその表面にえび茶色の斑点が浮かんだり消えたりするのである。イカ君は敵から身を守るために身体の色を保護色で変えるのだが、お皿の上で断末魔に直面しつつ、必死で身を守ろうとしているのである。

哀れである。

苦しんでいる。

かわいそうなので、さっさと塩焼きにしていただいて、醤油をつけて食べる。これも美味である。黒霧島の水割りによーくマッチしている。博多に行ったら、是非、「よし田」へ。

   地方に出かけると、いろんな発見があって、実に楽しい。

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