日記・コラム・つぶやき

2010年1月 6日 (水)

母は小さくなりにし

    お正月、ふるさとに帰ると、母が、一段と小さくなっていた。かさかさと乾いた音を立てそうなくらいに乾いた感じもする。しかも、少なくなった髪が伸びるだけ伸びている。

「なんだ、そりゃ。アンデスの干し首みたいに髪が伸び放題だよ。散髪に行かなきゃだめだよ」
「でも、寒いから、今は切らないほうがいいかと・・・・」
「だめだめ、短くしよう」

  というわけで、母を車に乗せて、御坊のオークワの中にある美容院に連れていった。ドアを開けて、「おばあちゃんをお願いします。もう、丸坊主にしちゃってください」と言いおいて時間つぶしに町へ出る。

  一時間ほどして戻ってみると、もう終わったのか、さっぱりした頭で雑誌など見ている。頭は丸坊主にはなっていない。普通の短髪である。

「よかったね、さっぱりして。頭は洗ってもらった?」
「洗ってもらってない」
「え、洗ってもらってないの?」

  でも、どう見ても洗ってもらった様子である。「洗ってもらったでしょ?」「ううん、洗ってもらわなかった」。どうやら、洗ってもらったことをすっかり忘れてしまったようなのである。

  夜、妹と母と3人で田辺の国道沿いにある料理店「銀ちろ」に行って、晩御飯を食べた。食事を終えて駐車場に向って歩いていると、母は細く暗い道を指差して、「この坂道の先に教職員住宅がある」と言い出した。

  こんな細い路地の先のことをどうして知っているんだろうといぶかしんで、「この先に教職員住宅なんかあるの?」と聞くと、母は、

「うん、坂下の教職員住宅がある」

  と言う。心から驚いた。

「ちょっと、待ってよ。坂下の教職員住宅って、僕が0歳から5歳まで暮らした家でしょ。あれがあったのは愛知県犬山市。ここは和歌山県田辺市だよ」
「ああ、そうね」
「坂道が似て見えたの?」
「ああ、そう」

  人はこんな風に老いていくのかと思った。映像記憶がうまく呼び出せずに混濁している。

  翌日の夜にもびっくりするようなことが起こった。

  自宅で、3人ですき焼の鍋をつついていた。テレビはつけっぱなしだった。突然テレビのスピーカーから赤ん坊の大きな泣き声が飛び出した。箸で鍋をつついていた母は、「あっ!」と言って、驚いた顔をテレビの画面に向けた。その泣き声がテレビから流れてきたものだということを知って、

「なんだ、よその子か」

  と、ひとりごちて、また鍋に顔を戻した。「よその子」だって? 鳥肌が立った。

「お母さん、うちの子はね、今あなたの目の前に座って一緒にすき焼を食べているよ。もうすぐ還暦だよ。もう赤ちゃんじゃないんだよ。ほら、妹ももう54歳だよ。よく見てごらんよ」
「はは、そうだね」

  そう言って、母は力なく笑った。そうか、3人で一緒にいると、その昔一緒に暮らしていたころのことが思い出されて、自分の心もそのころに立ち戻ってしまうのかな、と思った。今の母の心の中では、妹も私もヨチヨチ歩きの子供なのだ。

「お母さん、ちょっとボケちゃったね。場所も時間も」

「ああ・・・・、そうね。でもね、死ぬって、こういうことなんだよ」

  鍋の中から豆腐を取り出しながら、母は小さな声でそう言った。

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2010年1月 2日 (土)

新春妄言

    正月のスポーツ番組を見ていると、外国人の姿が多い。箱根駅伝などもアフリカ勢が圧倒的なパフォーマンスを見せている。

  だが、聞くところによると、外国人勢の進出には一定の制限(絶対数や走る区間など)があるらしく、全区間をケニア人学生が疾走するということは不可能らしい。

  たとえば和歌山県立ケニア大学というものを造って(体育学部マラソン学科しかないんだけど)、ケニアから有望な学生を100人くらい招き、徹底的に鍛え上げて箱根の山道をこれまで見たことも聞いたこともないようなスピードで駆け抜けさせたらさぞかし面白かろうと思うのだが、それは叶わぬ夢なのである。

  しかし、そんな制限を設けて、民族的保護主義を講じることにいかほどの意味があるのだろうか、と思う。いいじゃないの、全員ケニア人で。サッカーだって野球だってラグビーだって相撲だって日本人などひとりもいないけど、抜群に強い「日本のチーム」があったところで何の問題があるだろうか。

 
   大相撲もモンゴル人やロシア人だけではなく、アフリカ人や北欧人、南米のインディオなど入り混じって戦ったら、愉快だと思うよ。

  そうすることによって、わが日本民族がこと運動能力に関しては、いかに劣等民族であるかということを、我々はもう少し痛切に実感したほうがいいのではないか。Wカップなどもみんなでこぞって希望的観測をぶち上げているが、もっと冷静に我々の非力を悟ったほうが、長い眼で見れば我々のためになるような気がする。

  彼我の力の差を思い知るところからしか「世界レベル」の逸材は生まれないだろう。日本人による日本人のための日本人の大会で好成績をあげても、なんの意味もないということを、もっと「世界レベルの力量」を日常的に間近に目にすることで、理解するようになるだろうと思う。

  もっとも、そうすることによって、やっぱ日本人は、スポーツでは外国人にはかなわんな、と悲観的感懐を抱くようになったとしたら、それはそれでいいのではないか。そのときはそのとき、囲碁将棋とか田植えとか、そちらの方面に民族的プライドの拠りどころを求めればよろしいのではなかろうか。

  閑話休題。「トイレはガラパゴス島である」論(http://kingkingko.cocolog-nifty.com/blog/2009/12/post-e1f8.html)の続きの一話を。

  関西在住の政治ジャーナリストに「トイレ=ガラパゴス島」論を微に入り細をうがって説明していたところ、「そうなんだよ!」と強く相槌をうたれてビックリした。

「いやあ、別れた女房がね、便器の便座があるでしょ、あの枠のうえに足を乗せてまたがって用を足していることを、あるときに知って驚愕したんですわ」

「え? 便座って、あの丸い、お尻を乗せるところでしょ? そこに足を乗せるって、ようするに和式トイレの体勢を便座の上でとるということ?」

「そうなんですわ。大体結婚前に、女房にそんな奇癖があることなんか分るわけないやないですか。で、女房に、『おまえ、いくらなんでも、それ、おかしいやろ!』って指摘したら、『うるさいわね、お母さんからこうするように子供の頃に教えられたの! ずっとこうしてきたんだから、余計なことを言わないでよっ!』って逆切れされてしもてね。
 結局、いろいろあって離婚してしもたんですわ・・・」

  うーん、佳話である。

    私は1975年にナホトカからシベリア鉄道の2等車に乗って、1週間かけてモスクワ経由で東欧に行ったことがある(最終目的地はパリだった)。そのときのトイレの便座が木製でつねにべっとりと濡れている状態で、とてもそこにわが尻を乗せる気にはなれず、土足で便座に跨って用を足したことがあった。

    しかし、何しろ列車なので横揺れがある。便座を踏み外しそうになるので、必死で腕を左右の壁まで伸ばして身を支えていた覚えがある。ここで転落したら本当に「フン死だな」と思いながら。

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2010年1月 1日 (金)

年末年始はテレビ三昧

  
    年末年始はテレビ三昧。普段はほとんどTVを観ないので、休みになると子供みたいにTVにかじりつく。昨夜、大晦日は「ガキの使いやあらへんで」を観ながら笑いこける。こんなに馬鹿みたいに笑ったのは実に久しぶりのこと。

  しかし、番組の時間が長すぎる。TV業界の不況はこういうところにも現れているのかもしれないと思う。本来なら2時間番組くらいのコンテンツの密度なのに、それを6時間に希釈しているように感じる。

  本来ならばボツにすべき内容のものがイキになっていたり、稠密に編集すべきところが疎漏なものになっていたりと残念な部分も多い。6時間番組を作るならそれなりの予算と、それに見合った才能を集結させないと無理である。

  元旦。おせちを食べた後は、ゴルフネットワークで石川遼特集を観る。観ているうちに、こうしてはいられないと、ゴルフ練習場に電話をしてみたが正月休みの様子。仕方ないので、畑でビュンビュン素振りをする。北風が吹いてきて寒いし、素振りはやっぱりつまらない。

  晩飯のあとは「SASUKE」を観る。こういうことに人生をかける青春というものがあるのかと感嘆する。しかし、人生の目的を設定しにくい現代にあって、こういう風に具体的にゴールを設定できることは、ある種の幸福かもしれないと思う。

  人生は、所詮死ぬまでの暇つぶしである、という誰かの達観が最近よくわかるようになったからなのだが。

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2009年12月31日600キロを6時間で走る

    2009年12月31日、午前3時に起床。歯も磨かずに顔だけ洗って、アウディA4 AVANTに乗り込み、環八から東名に乗り込む。午前4時までにETCでゲートをくぐれば、高速代金が半額になるという話を誰かから吹き込まれ、それを信じての早起きだったのである。

    午前3時というのははっきりいって真夜中である。月(満月に見える)がずーと夜空にあった。アクセルを踏めるだけ踏んで、抜けるものはすべて抜く、という気構えでバンバン走る。平均速度140キロくらい(自分の感覚では)、瞬間最高速度180キロくらいでひたすら走る。

    ことによると、どこかの赤外線カメラで捕捉されているかもしれない。しかし、ハンドルを握って夜の暗闇の中を鬼のように走っているときには、そんなことはどうでも良い、と思うくらいに人格が豹変してしまっている。恐ろしいことである。

    東名は世田谷から乗り込むあたりは立派な高速道路だが、途中は2車線になり安っぽい作りになっている。昔の日本はつくづく貧しかったのだと思う。日本の幹線高速道がこの程度なのか、と思って乗るたびに暗然とする。

    東名から伊勢湾道路に入ると驚く。こちらはまだ日本が豊かだったときに作ったものなのだなあ(実際は知らないが)という感慨を抱かされる。こんなのが東京から続いていたら運転も楽だろうなあと思う。

    300キロほど走ってから1回目の休憩。苅谷SAにクルマを入れるがレストランもまだ開いていないので、コンビニで肉まんとおにぎり2個を買って車中で食べ、すぐに出発。約15分ほどしか休息していない。

    三重県の亀山(アクオスで有名になった)から国道に下りるころに、アラレがぱらぱらとふりかかりフロンとガラスにぱちぱちと当たる。路面に転がったアラレが風に吹かれてさーっと流れていく。見たことのない光景である。

    北風が強い。車体が左右に流される。恐ろしい。しかし、黙々と走る。制限速度60キロなのに120キロは出ている。天理から再び高速に乗り、松原から和歌山方面へ。

    和歌山へ入ると1車線になる。和歌山は「近畿のおまけ」だからまあ、仕方ないか。

  午前9時15分に御坊ICを降りる。約600キロ、6時間。よく走った。御坊のオークワで今晩の鍋の食材を買う。母親の好物のカニを買う。ついでにタラとカキも買う。水産物売り場のおやじに「どのカニが一番うまいのか。値段は問わない」と尋ねると、いろいろと教えてくれる。

「カキは生食用と加熱用があるけれど、鍋にするときには必ず加熱用を買ったほうがいいよ。その方がおいしい。生食用は必ず48時間流水で洗うこと、という規則があって、そうすると旨みも一緒に流れてしまう。加熱用は24時間でいいから、まだましなんだよ」

  まだまだ、世の中には知らないことが多い。

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2009年12月28日 (月)

「トイレの作法」試論

  
    消臭スプレーの話を書いたからなのか、トイレのことをあれこれ考えるようになり、いつの間にか、頭の形がTOTOのようになってきた。これから先はトイレ話を全面スプラッシュしたいと思う。尾籠な話も山盛りなので、その手のお話が苦手な方はそそくさとお引き取りいただきたい。誤って踏んづけると、滑ってころんで大変なことになっちゃいますよ・・・。

  女性の方々には想像もつかないことだが、長年にわたって、男性用小用便器を使用していると、たまに思いがけない出来事に出くわす。ご承知のように、百貨店や会社や映画館などでは、男性用小用便器は横にずらりと並んでいる。これは世界中(といっても知っているのは15カ国で、アマゾンの奥地やアフリカについては知らないが)どこでもそうなっている。

  その便器間の境目には小さな目隠しが設置されていることもあるが、たいがいは何もない。ジョジョーと排泄していると、見知らぬ誰かが隣にやって来て、やはりジョジョーとやっている。別に首を曲げて覗き込むわけではないのだが、なんとなく雰囲気で、その見知らぬ誰かの排泄行為は大体が自分と似たり寄ったりなのであるということは察知される。

    しかし。ときにぎょっとするような振る舞いをする御仁が隣に来ることがある。会社の同僚のS君は雑誌を持ってトイレにやってきて、雑誌を小脇に抱えた後、チャックを下ろし、下着の中から泌尿器をおもむろに取り出して、しかるのちに、再び両手で雑誌を持ちなおして読みふけりながら排尿するのである。

    うーむ、われわれ小物にはとても真似のできることではない。小物は小物ゆえ、両手できちんと目指す方向を良導してやらないと、あたり一面の惨劇を招きかねないのである。しかるに、S君は・・・・。いったいどうしているのであろうか。長いホースを便器の端にちょこんと乗せて、その豊かな自重でもって方向性を確保しているのであろうか。

    まことに興味深く、ちょっと覗き込んでみようかという誘惑にかられはしたが、さすがにそれも憚られ、「手離し排尿の奥義」はまだ見極められないでいる。

    かと思うと、ときどき、とんでもない奴が隣に来ることがある。女性の方々はこれまたご存知ないであろうが、男性諸氏は排尿後、淑女の皆様のように「紙で拭く」ということをしない。え、と驚かれるかもしれないが、残念ながらしない。では、どうするか。簡単なことである。尿道に残った出残りをしごき出し、かつ先っぽに残った「しずく」をぷるるんとはね飛ばし、「これできれいになった」ことにして、そそくさとホースを格納するのである。

  冷静に考えてみると、ちっとも「これできれいになった」わけではないと思うのだが、ここであんまり神経質になっても仕方ないので、とにかくそれでよしとするのである。この「しずく」のぷるるん行為は人によってまちまちで、下半身全体を上下にゆすり(オランウータンがウホッホと叫んでいる状態に似ている)、その動きにシンクロしてホースがたゆたい、結果しずくをはね飛ばす人がいるかと思えば、指先のみの動きで、厳密に言えば人差し指と中指の間にホースを挟んでぴゅっとしずくをとばす人もいてまちまちであるが、まあ、一般的に言ってそれらは常識的なぷるるん行為であると言っても差し支えないであろう。

  先日出くわした「戦慄のぷるるんオヤジ」はそんな常識的なものでは一向になかった。なんと、ホースの根っこを右手でしっかと押さえ、縄跳びの紐を360度振り回すようにブルルン、ブルルンとぶん回し始めたのである。王貞治の一本足打法も真っ青である。「テメー、このやろ。テメーのしずくが私のズボンやきれいに磨いた靴にかかるじゃねえか」とガツンといってやりたいのだが、なにしろこちらも最中であるから、はなはだ気合いが入らない。

  何にも言えなくて、ただ、この「戦慄のぷるるんオヤジ」側ではない方向に身をよじって避け(といっても何しろ最中なので、慎重にツツツと逆サイドに両足を寄せ)、前代未聞の災禍から身を守ろうとするばかりなのであった。

  さて、こんな珍妙な体験を積み重ねるうちに、私は「トイレにおける人の所作」について色々と考えるようになった。もっと正確に言うと「トイレでの作法を人はどうやって学ぶのか」に思いを至すようになったのである。

「トイレでの作法を人はどうやって学ぶのか」。これについては男性も女性もないのだが、振り返って考えてみると、実はこのことについて、私はきちんと学んだという記憶がない。ナイフとフォークを使っての食事のマナーについては学校で確かに学んだが、大小便の排泄方法とその後の処理について、義務教育課程では誰も何も教えてくれなかったのである。

    もっと言うと、食べること、排泄すること、眠ることなどなど、人の一生において数限りなく繰り返される一連の行為について、義務教育は実に不思議なことに、なにほどのことも教えてはくれないのである。本来ならば、その意味や適切な方法や知恵について、人生の先達たちが教授してくれてもよさそうなものだが、そのことについては誰も配慮してくれない。因数分解やモル数や源氏物語や三権分立については教えてくれたけれど、「適切なぷるるん行為」については誰も教えてはくれなかったのである。

    そしてどうなったか。誰もその適切な方法を教えてはくれないにもかかわらず、どなたにも事態は切迫する。しかたなく我々は、まだ物心のつく前から、必死でそれまでの短い人生経験を参照しながら、まるで孤児のように、なんとか独力で事態を解決し、乗り越えてきたのである。

    ことは単に「ぷるるん行為」だけではない。まだ幼い我々を待ち受けているのは、「小」だけではなく、情け容赦なく「大」の試練も襲い掛かる。かちんかちんで切れちゃいそうなときはどうすればよろしいのか。しゃびしゃびでひっきりなしに間歇的に溢れ出そうなときはいかに対処すればよろしいのか。事後、どのように拭けばよろしいのか。前から? 後ろから? 紙はどのくらい重ねておけば指の安全は確保されるのか? 清拭後は、紙を視認し、まだ拭き足りないのか、もうこれでよろしいのかを判断する? どのくらい拭けば「よし、これでよし!」となるのか。

    いたいけな子供たちは、このすべてを一人ぼっちで、対応してきたのである。考えてみれば涙ぐましい試練であると言わざるを得ない。するとここで、「いや、小さい頃に親に教わっただろう」という反論をする方がいるかもしれない。確かにオムツが取れた頃に、親はいくつかのアドバイスをしてくれたかもしれないが、そんなことあなた、覚えていますか?

    あらゆる人は、人生のごく初期に両親から「排泄のマナー」について教えられたかもしれないが、そんなものは比喩的に言えば2,3歳のころに「あいうえお」を教わるだけで、あとは自力で哲学書を読めるようになるようなものではないのか。だいたい、男性の「ぷるるん行為」について、女親が適切な指導ができるとはとても思えないではないか。

    かくして、人は、おのがじし、トイレという密室の中で他者からの指導や影響を受けることなく、その一生を使って、独力で、自らの経験と発意と知恵のみで「トイレの作法」をあみ出し、進化させてきたのである。密室ゆえに相互の影響もない極めて独自な進化である。まるでガラパゴス諸島で、生物たちが他の地域とは全く違う進化を遂げたように、各自、個室でユニークな進化を遂げたのである。

    前述の「戦慄のぷるるんオヤジ」などは、そのいい例である。しかし、これはあくまで「小」の方の話であって、男性の「小」はOPENな環境下で遂行されるため、まだしも相互の影響や学習の機会が保たれていて、腰を抜かすほどの進化とはなりえていないように思う。

    驚愕の進化は、個室でこそ遂げられる。男性の「大」、女性の「小」「大」「その他」は想像するに(想像するしか手立てはないのだが)、「想像を絶する」進化を遂げているに違いないと思う。

    常識的に考えて「そっちの方向に進化しちゃまずいだろう」という進化でさえ、それを阻止し、押し留める要因が皆無なため、カンブリア紀の生物のように多彩で爆発的なものになっている可能性は大きいのではなかろうか。

    しかし、その「進化の驚愕的多様性」について、我々はついに知る機会はない。なぜなら、よっぽどの物好きたちが、自らの進化について赤裸々にカムアウトしない限り、知りえない事柄だからである。

    そんなこと、誰もしませんわね。

    しかるに、なぜ私が「トイレにおける作法は独自に進化する」という考えにとらわれたかというと、ごくまれに「自らの作法」と「他者の作法」が違うということを知る機会を持ったからなのである。

    もう何十年も前のことだが、会社の女性用トイレの前を通りかかったとき、その中から「カランカランコロンコロン」という音が高らかに聞こえてきたことがあった。今から思えばその音はトイレットペーパーホルダーの金属製のカバーが、ホルダーが取り付けられているタイル壁に勢いよく当たって奏でる音だったのであるが、そのときにはまだ、なぜカバーが勢いよく壁に当たるのかが分からなかったのだ。

   それからしばらくして、会社の作業台で残業夕食のラーメンを何人かで食べていたときのことである。その作業台の上には、口を拭いたり、台を拭いたりするためにトイレットペーパーがひとつコロンと置かれていたのだが、一人の女性が食べ終わるや、そのトイレットペーパーを手に取って両腿の上に置き、両手でペーパーの端をつかんで両手をクルクルと猛然たるスピードで回し始めたのである。うまく説明しにくいのだが「カイグリカイグリトットノメ」を行うときの手の動作と同様の動きである(もっとわかんないか)。

   その時、私は「わお、トイレットペーパーをそんな風に勢いよく大量に取り出す人がいるのか!」と驚いた。私のそれはもっと静かで慎ましやかなものだったからである。驚いて聞いてみた。

「あのー、トイレでもそうやって勢いよく紙を取り出してるの?」
  彼女はちょっと困惑し、顔を赤らめて「うん」と答えた。

    なるほど、あの「カランカランコロンコロン」はそういう理由だったのか、と得心するとともに、紙の取り出し方ひとつとってもこれほどに自分と違う人がいるのかと驚くことにもなった。

    もう一回の体験は、何かの拍子で(多分、銀座のクラブでだったと思う。話すことが何もなくなったので、やけっぱちでその話題を唐突に持ち出したような気がするが、何しろ酔っ払ってのことなので正確には思い出せない)、「お尻を拭くときは前からか後ろからか」という下らない問いかけを周囲の若い女性たち(ホステスなんですけどね)に投げかけたことがあった(それも複数回)。

「前からか後ろからか」というのは、「前から後ろに向って拭くのか、後ろから前に向って拭くのか」という下らない問いかけではない。手を前からもっていくのか、後ろから持っていくのか、というもっと上質な質問だったのであるが、彼女たちは「はあ?」という顔をして、「そんなの、後ろからに決まってるじゃないの」と応答したのである。

  私は驚いた。「え? 後ろ? あのね、手をどちら側から持っていくのかという話だよ。前ならば、両脚の間に、つまり股間に空隙があるからすんなりそこから差し込めるよね。でも後ろだったら、便座にピッタリくっついているお尻を少し持ち上げて隙間を作り、そこから手を持っていくんだよ。わかってんの? そんな面倒なことをしてまで、後ろなの?」「そうよ」「・・・・・・・・」

  私はまたしても、驚愕した。私には「前」しか不可能なのである。腕が短いので、とても後ろから回しこむことなど不可能なのである。もう五十数年間、ずーーーと「前」からであって、それ以外に選択肢はない。私にとっては「前」が常識だったのであるが、しかし、目の前にいるこの人たちにとってはそんなことは全くの「非常識」だったのである。

   そんな経験を通して、私は、少なくとも「トイレの個室での作法」は人によって全く違う。1000人いれば1000通りの「その人にとっての常識」があるのだ、ということをしみじみと悟ったのだった。

  人は、その生涯を費やして、たった一人で、誰からの手助けをも受けることなく、孤独に、自らの「トイレでの作法」を確立していく。その作法は、人生の晩年ともなると、それなりの完成度を見せているに違いない。

  しかし、その人が一生を費やして辿り着いた「トイレでの境位」も、その人が死ねば同時に死に絶える。一生涯かかって完成させた「トイレの作法」は、誰にも伝承されることなく、無に帰するのである。そう、このブログをあなたが読んでいるたった今も、世界中で、様々な「トイレの作法」が消滅していっているのである。

  そうして、ここまで考えてきて分かることは、その人が死ぬことによって消え去ってしまうものは、何も「トイレの作法」に限らないだろう、ということなのである。思想も、哲学も、文学も、みなおなじように、泡のように消え去っていくもののように思われるのである。

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2009年12月21日 (月)

トイレの消臭スプレー随想

    会社のトイレに「消臭力」という名のスプレーが置いてある。

    もちろん、ナニの直後にシューっとして、ナニの臭いを和らげ、あとから来る人に不快な思いをさせないための物である。なかなか気の利いた商品であるが、これは私が近所のドラッグストアで買ってきて、会社のトイレに置いたものでもある。

    ナニの最中には何か読み物が必要である。新聞や雑誌などが最適であるが、ときとして持ち込むことを忘れたりする。

    そんなときには何でもいいから何か読むものはないかとあたりを見回す。どうしても見つからないときには、財布からお札を出してしみじみ眺めたり、クレジット・カードの裏側をじっくり読んだりする。

    先日もそうだった。たまたまスプレーがあったので手にとって細かく読んでみた。読んでいるうち、アレッと思うことがあった。商品名は「消臭力」なのだが、最後の「力」の下にカタカナで「リキ」と書いてあるのである。

「ショウシュウリキ」? 「ショウシュウリョク」じゃないのか。何でだろう。ショウシュウリキ、ショウシュウリキ、ショウシュウリキと口ずさんでいるうちに、おお、と思った。「長州力」のもじりなのか。それは凄い話ではないか。

    トイレの臭い消しのスプレーに「長州力」をもじって「消臭力」というネーミングにするなどというのは只者ではない。きっと関西の会社であろう、とスプレーの底を見ると「エステー株式会社」とある。どうも、関西系ではなさそうである。

    世の中には凄い人がいるものだと思いつつも、長州力の気持はいかばかりであろう、と思ってみたりした。

    その後に思ったことは、「消臭力」では一般名詞すぎて、商標が取れなかったのかもしれない、ということだった。そこで一計を案じて「力」を「リキ」と読ませる。そうすることで商標を確保する。実際は、そういうことなのかも知れない。

  というところまで考えたとき、扉をコンコン叩く音がして、「いいかげんにさっさと出たらどうなんだ!」とどやされた。こんなやつのためにスプレーを使用することはよそうと思った。

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2009年12月 8日 (火)

ネズミが来た!

 
   築10年の木造住宅に住んでいる。自室は1階の北側にあり、毎夜そこで眠っている。真上には台所と風呂場がある。バスタブには一晩中お湯がたまっているので、その真下は気持、暖かいような気がする。

 そのせいなのかも知れない。毎夜、3時か4時頃、ネズミくんがやって来る。

   初めてその足音を聞いたのは4年ほど前のことである。シーンと静まり返った真夜中、天井に、パタパタパタという、ネズミくんのかわいい足音が聞こえた。四肢の動作が手に取るように分かる、細かな足音である。

   最初は、幻聴ではないかと、思った。ついに自分は精神が錯乱してしまったのだと思ったのだ。アメリカ風輸入住宅の1階の天井裏をネズミくんが走り回るなんてことを、誰が思いつくだろうか。

   しかし、それは幻聴などではなかった。ネズミくんは毎夜、決まった時間になると、頭上を走り回り始めたのだ。家を建ててくれた工務店の担当者を呼んで、夜中にネズミくんが走り回って困る、と訴えたのだが、しばらく家の周りを調査した後、「ネズミが入り込むすきまなどありません」と断言して帰っていった。

   仕方がないので、大好きなホームセンター「Jマート」に行って、ネズミ撃退機(コンセントに差し込むとキーンという超音波を発する)を数個買ってきて部屋のあちこちに取り付けてみた。そのおかげか、ネズミくんは、しばらくはおとなしくしてくれていたようである。

   しかし、ここ最近、撃退機などなんのその、ネズミくんは毎夜3,4時にパタパタパタという足音をさせてやってくる。普通は歩いているのだが、時々は走り回ったりしている。時には複数の仲間もやってきているのか、チューなんていう奇声をあげたりして騒いでいる。

   最初のうちはスリッパを天井に投げつけたり、ゴルフ・クラブで天井をガンガン叩いたりしていたが、全然効果がないのでやめた。そのうちに年老いて、死んでしまうだろうと思ったのだ。もっとも、その子供たちがやってくるかも知れないけれど・・・。

   子供の頃、大阪市阿倍野区阿倍野筋の長屋のような住宅に住んでいた。平屋で3軒ぐらいが連なっていて、境目は単なる土壁が一枚あるきりだったから、落語に出てくる長屋のようなありさまである。昭和30年代の話である。

   この家でもネズミくんは跋扈していた。夜中に家族4人が並んで寝ていると、天井裏をドタバタドタバタと走り回っていた。そのこと自体には、別段に問題はなかったが、困ったのは、天井からネズミくんのダニが落ちてくることだった。朝起きると、お腹のあたりが咬まれてプチプチと赤くなっていた。

   やつらをやっつけなければならない。親たちはそう思ったに違いない。猫いらずが家の各所に置かれ、ネズミ捕りのボックス(針金の網でできたやつ)もしかけられた。

   ある夜、押入れから布団を出そうと、襖を開けると、布団の隅に、ネズミくんがいた。元気がなく、じーっと暗い目でこちらを見つめていた。猫いらずを食っちゃったのだ。この毒を食らったネズミくんは、明るいところに出てきて昇天する。今わの際のネズミくんの目はなんともいえず恨めしそうだった。

   明るいところに出てきてくれるネズミくんはまだ立派なほうで、中には天井裏でご臨終になるネズミくんもいた。するとどうなるか? 天井裏で腐るのである。2週間ほど、家の中に腐臭が漂う。その臭いは今でも思い出すことができる。独特の甘い臭いである。そして、天井の板に半径50センチほどの奇妙な形のシミができた。

   当然、ネズミ捕りの網にかかるネズミくんもいた。網の中でチューチューいっている。哀れである。

   長屋の前には下水が流れていた。幅25センチ、深さ15センチほどのくぼみが走っていてそこを生活排水が流れている。蓋はない。ときどきキャッチボールのボールがその汚い下水に飛び込むことがあったが、当時の少年はそんなことは一向に平気で手で拾ってキャッチボールを続けていた。

   その下水の壁はぬるぬるしていて、よーく目を凝らしてみると、角ばった場所に赤い色をした糸のような虫がへばりついてうようよしていた。金魚の餌にするような虫である。近所の少女たちはこの下水に跨っておしっこをしていたから、大らかな時代である。当然われわれもそこでおしっこをした。

   そんな下水があちらこちらから集まるコーナーのような場所があり、そこの水位は50センチほどの深さがあった。網に入ったネズミくんはザブザブとそこに漬けられた。何とか呼吸をしようと鼻を上に向けチューチュー泣いている。

   たまたまそのとき、そばに祖母がいて、手に金槌を持っていた。それで、網から必死で突き出しているネズミくんの鼻先をガツンと叩いていた。いいようもなく哀れである。死んだネズミくんをどうやって処分していたのかは皆目記憶にない。

   そんな具合で、ネズミくんとの付き合いは長い。

   高校時代のことである。実家が山奥なので、一般の民家に下宿していた。朝晩、食事を用意してもらい、風呂にも入らせてもらっていた。ある夜、喉が渇いたので、台所に入っていき、パチンと電気をつけた。その瞬間、ガサゴソガサゴソという音がした。何事だ、と驚いてそのほうを見ると、トースターのパンを入れるところ(長細い入り口)からネズミくんが、よっこらしょと出てきたのだ。

   驚いた。あんな狭いところからもぐり込んでパンくずを食っていたのである。トースターから飛び出したネズミくんはたちどころにいなくなってしまった。

   困惑したのは翌朝である。朝起きて、食卓につくと、お皿の上にはトーストが乗っていた。うーむ、とためらった。食うべきか食わざるべきか。しばし悩んだが、トースターの中にネズミくんが入り込んでいますよ、とは言えなかったのだ。

   悩んだ末に高校生の私は、えーい、ままよとそのトーストを食べてしまったのである。熱で消毒されているから大丈夫だ大丈夫だと自分に言い聞かせながら・・・・。

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2009年11月29日 (日)

ラブイズオーバーについて

    偶然というのはあるものだと思う。以前、玉置浩二について、このブログに思うところをあれこれ書き連ねたことがあった(09/2/26)。すると、その翌日のスポーツ紙の1面に石原真理子との「復縁」が大きく取り上げられていて、ぎょっとしたことがあった。

    またしても、似たようなことが起きた。特にそのことについて書こうと思っていたわけではないのに、話の流れでつい映画監督の斎藤耕一氏の映画「約束」のことを書いた。私にとっては、出目昌信監督の「俺たちの荒野」とともに、今でも忘れられない我が青春の日本映画の1本なのである(09/11/23)。その5日後、斎藤氏が80歳で亡くなったという新聞記事を目にしてやはり驚いた。

    ああ、こうして我が青春にご縁があった映画人がひとり、またひとりと消えていくのだなと思うと、すこし淋しい気がした。

   カーラジオで、欧陽菲菲がが「ラブイズオーバー」と歌っているのを聞いて、思うところがあった。彼女は「ラブが終わった」と歌っているけれど、話の順番が違うのではないか、と思った。「ラブイズオーバー」なのではなく、私たちは「オーバーしてしまったものをラブと名づけた」のではないか、と思ったのだ。
 
  師弟愛でも、神の愛でも、祖国愛でも、家族愛でもなんでもいい。どの愛も、破綻するまでは私たちの意識の中で前景化することはない。

    師弟愛は、師を失ったり、弟子が離反したときに、師弟の関係が充実していたときのことを思い出しながら、「それが失われてしまった」という形で哀切に回想されるときに生じる概念なのである。

  神の愛が、この地上に遍く降り注がれていたことは、昔も今も一度もない。少なくとも誰もその存在を実感したことはない。しかし、私たちの知らない大昔に、神の大きな愛で包まれていた時代があったという前提のもとで、私たちはいつのことだか分からないけれど、それを喪失してしまったという大きな悲しみとともに「神の愛」の蘇生を強く願うのである。その時に「神の愛」という言葉が誕生したのである。

  祖国から追われたり、他国に侵略されて不自由な環境に置かれたとき、人は、そうではなかった時のことを追憶しながら、祖国愛をひしひしと実感するのではないか。

  男女の愛も同様である。ふたりの仲が順調で、笑顔に満ち、会話がはずみ、心を許して抱きしめあっているその最中に、私たちは「男女の愛」を感じることはない。それまでの笑顔が消え、会話が途絶え、信頼がうせ、ふたりの豊かな関係を成り立たせていた一切合財を失ったときに初めて、私たちは痛切に「その人への愛」を感じるのである。

  あの暖かい笑顔にもう二度と接することはないのだ、あの愉快な会話を交わすことは、もう二度と再び訪れることはないのだ、という強い失意と欠落感の中で、私たちは初めて「LOVE」に遭遇するのではないかと思う。

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2009年10月13日 (火)

ミルフィーユじゃなくてミルフイユ!

 
    久しぶりに、京都在住の関谷江里さんことエリチンのサイト(ブログと言うと怒られる)を見ていたら、いかにもエリチンらしいことが書いてあったので、思わず笑った。ぜひ、もっと多くの人々にこの主張をお届けしたいので、ここに引用させていただきます。エリチンのサイトの冒頭に、<わたしの言葉の好みはこちらです。よろしければご覧ください。>という、みょうちきりんな案内があって、そこをクリックすると、以下のような文章が登場する。一部割愛しつつ、ご紹介します。

<(・・・・・・)この話をはっきりするのは初めてですが、やっぱり聞いてくださいませ。<(_ _)> 
自分の言語感覚はヘンという認識もあった上で語るから許して~。
実はわたしは、ブログという言葉を使わないのです。
このサイトオープン当初には、何度か使いましたが、
ある時から音として耐えられなくなってしまったのです。
「ぶ」で始まる言葉:
ぶさいく 不細工
ぶざま 不様
ぶしょう 不精
ぶきよう 不器用
ぶようじん 無用心
ぶれい 無礼
ぶこつ 無骨 ・・・
で、
ブログ。 (-_-;)
「ブログ」とは、 weblog ウエブログの略であります。
けれど、 ログに、「ぶ」がつくなんて、
理不尽なことだ、かわいそうだ~。\(゜o゜)/
(・・・・)頑張って「ブログ」という言葉に対して無感覚でいようとするのだけど、
それでも「ブログ」という言葉には濁音が2音もあって美しくない。
音として、かなり耐え難いものがあると思います。
「ブロガー」なんて、さらに耐え難い~~~(叫)>

   と、まずは、エリチンの「言葉の音」に対する繊細な美意識をご披露する次第。お次は、用語についての一家言を。

<(・・・・・)どんな言葉をわたしは決して使わないかというと、以下のようなものです。
●お昼を軽く「済ます」というような言葉。食事はありがたく「いただく」ものです。用事じゃないんだから、毎回の食事はうれしいものなんだから、「済ます」という言葉は出てきません。もちろんわたしも毎回きちんとした食事をしているわけではないけれど、それでもたとえば朝食を「済ます」ってやっぱり言わない。(「とる」ならいいと思う。)
●お弁当や鍋を「つつく」とは、わたしは言わない。「つつく」って言うと、なんだかキツツキが木をつんつんしているイメージが思い浮かんで、お弁当やお鍋が痛くてかわいそうやん、と思っちゃう。やっぱりお弁当もお鍋も大切に「いただく」ものだと思うのです。
●それから「こだわりの」って言葉も絶対に使わない。美食にまつわる表現で、これほど安っぽくなってしまった言葉もないでしょう。世の中に、自分の料理(あるいはお菓子などの商品)を提供してやっていこうというくらいの人なら、こだわっていて当然だし、いやもう理屈を超えて、とにかくあまりに安易に使われるようになっていることがやだ~。
●さらに「癒し」とか「癒される」と言う言葉をわたしはほぼ100%使わない。(「傷が癒えたら」というように、本来の意味で使うことがあるから「ほぼ」です。)ものを表現するとき「癒しの○○」とか「癒される空間」といった使い方が、褒め言葉としてものすごく使われるけれど、わたしは全然いいと思わない(-_-;)何でかわからないけれど、これも安易に使われるのがいやだということと、もうひとつ、癒しというからには「疲れ」とか「ストレス」とか、前提としてマイナス要素を含んでいるからだと思う。「癒される」ということは、現在ストレッセな状態であることを認めたことになるんじゃないかと思うのです。例えば「癒しの空間」というのは褒め言葉なんだろうけれど、「心が洗われる空間」あるいは「気持ちが和む空間」っていう方がよりポジティヴなんじゃないかしらん?>

   今度はご自身が好まない言い回しについての説明がなされている。とてもよく分かる話である。「キツツキみたい」というのがいかにもエリチンらしくて笑ってしまう。さて、お次はフランス語について。これに関しては、エリチン、厳しいよ。

<(・・・・)そしてもうひとつ、表記について、日ごろ常々述べたいと思っていたので述べます。日本語におけるフランス語の表現とカタカナ表記についてです。これはかなり多くの料理人やパティシエの皆さんとも意見を同じくしているのです。作る側、それからライターとか編集者が今後一致して変えていかねばならないことです。
●長年の慣例とはいえ、いい加減、「ミルフィーユ」という発音と表記をやめましょう。「ミルフイユ」です。ミルのフィーユっていったら、女の子が1000人いるってことなのよ(-_-;) >

「女の子が1000人」ですか。なんだか、みみず千匹みたいだけど、ちょっと違いますか。え、全然違う? 失礼しました。「女の子1000人」はミルフィーユでmille filles。お菓子のミルフイユはmille-feuilleで、「1000枚の葉」。確かに薄片が何枚も重なったようなお菓子ですもんね。milleは「千の」という意味です。

   ちなみに、長さの単位のメートルはフランス語です。メートル原器がフランスで作られて、それが世界中の長さの基になっているからなんでしょうが、われわれが日常よく使う「ミリメートル」はmillimètreで、頭についているmilliは「千分の1の」というフランス語。つまり「1メートルの千分の1の長さ」が「1ミリメートル」なわけですね。ついでに言うと、「センチメートル」はcentimètreで頭のcentiは「百分の1の」という意味ですね。1メートルの百分の1が1センチである、と。ただし、centは「百、百の」という意味。英語のcenturyは、だから100年という意味で1世紀なんですね。話が脱線しました。エリチンの話を続けます。

<(・・・・)いい加減「ブーランジェリ」という発音と表記をやめましょう。「ブーランジュリ」です。「ジョルジュ・サンク」という発音や表記は定着しているのだから(「ジョルジェ・サンク」と言ったらヘンでしょう?)「ブーランジュリ」と言えない(書けない)はずはないと思う。>

   はい、ごもっとも。パン屋さん(お店)はboulangerie(ブーランジュリ)、パン屋さん(人)はboulanger(ブーランジェ)。多分、両方がごっちゃになって「ブーランジェリ」になったのではないでしょうか。ちなみに女性下着のブラジャーはフランス語ではsoutien-gorgeで、英語でbrassiere。この英語が日本に入ってきてブラジャーとなった、と物の本(どんな本やねん!)には書いてあるが、この英語の綴りはどう見てもフランス語綴りである。そこでフランス語の辞書をよーく見てみるとありました! Brassièreで「女性の胸着」と。しかし、こんな立派なフランス語があるのになぜ、フランス人はブラジャーをスーティエン・ゴルジュなどという不思議な単語(直訳すれば「喉支え」)にしたのか、私にはその心がよく分からない。おっと、また脱線だ。

<それから、「グランメゾン」という言い方はおかしいのです。いったいいつ、誰が言い出したのでしょう。言うなら「グランドメゾン」だし(メゾンmaison=女性形)、さらにこれは、たとえば「タイユヴァン」とか「グラン・ヴェフール」とか、いわゆる「老舗」といえるお店に使う言葉です。>

  これはすべての名詞に男女の別があるというフランス語ならではの話なので、なかなか難しいです。後ろの名詞がmaisonみたいに女性名詞ならその前につける形容詞は女性形になります。だから、grande maison(グランドメゾン)となる。しかし、男性名詞の前ではgrand(グラン)となる。gran-croix(グランクロワ=レジオンドヌール一等勲章)というように。どうすれば名詞の男女の別が分かるのか? これはフランス人なら誰でも分かる。八百屋で、ジャガイモはマスキュランかフェミナンかと尋ねると、即座に返事が返ってくる。他の野菜すべてについても同様。これには感動する。フランスやイタリアで、公園のホームレスが拾ってきた新聞を読んでいるのを見ると、ああ、イタリア語(フランス語)が読めるんだとちょっと嫉妬する。

    私が気持ち悪いのは「既視感」を意味するフランス語のdéjà vu。déjà が「既に」、vuが「見た。あるいは見られた」。日本語表記でデジャ・ヴュなのだが、ときどき「デジャブー」という表記を見ることがある。これが気持ち悪い。「すでに高木ブーになっちゃった」ということなのかと思ってしまう。

      ついでに書いておくと、よく「プチ・バカンス」という和製フランス語が使われるけれど、vacanceは女性名詞。しかも「休暇」という意味で使うなら複数となってvacancesとなるので正確には「プティット・ヴァカンス」petites vacancesとなります。どうでもいいけど。

  アー、疲れた。

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2009年10月12日 (月)

石川遼とチューイング・ガム

  18歳の石川遼が、49歳のケニー・ペリーを打ち負かした。

  10月8日より4日間、アメリカはカリフォルニア州のハーディングパークGCで行なわれたザ・プレジデンツカップ。石川遼は25名の世界のトップ・プレイヤーに立ち混じってプレーし、通算3勝2敗という好成績を残した。

  なにしろ、18歳である。1991年生まれである。1991年といったら、ついこの前ですよ。そんな頃に生まれた青年がすでに世界のトップ・プロに育ったのだから、驚異的な話である。私など、1997年から必死に練習しているけれど、100を切るのがやっとなのだから。

    まだ、成長途上で、体つきも華奢な石川遼が、自分の父親よりも年上の(たぶん)ケリー・ペリー相手に敢然と立ち向かい、力でねじ伏せるさまは、観ていて爽快なものがあった。勝利後のインタビューでも、拙いながらも一生懸命英語で答えている様子はとても好感が持てた。

    しかし、解せないことがひとつあった。この爽やかな青年が4日間、プレー中にずっとチューjング・ガムを噛み続けていたことである。なぜ、自分より遥かに格上の選手であるタイガーやペリー相手に、サングラスをし、ガムを噛み続けながらプレーするのだろうかと。すくなくとも、私が中継を観ていた限りでは、石川以外にガムを噛みながらプレーをしていた選手を皆無であった。

    アメリカの野球選手がよく噛みタバコやらガムをくちゃくちゃやっているのは知られたことだが、ゴルフは野球とは違う。ゴルフは、勝敗もさることながら、いかに「紳士的」であるか、いかに「人間として成熟しているか」が先行的に重要視されるゲームなのである。だから、impoliteな振る舞いをしたプレーヤーは出場停止になるのである。

    プレー中にガムを噛むのはimpoliteな行いである。葬式の挨拶をするときに、結婚式で神父の前で、演説をするときに、病院で診察を受ける際に、社長が訓示を垂れる際に、ガムを噛みますか?

    石川遼の周りの大人がどうしてそう指摘しなかったのか私には不思議で仕方がない。「タイガー・ウッズ相手にガムを噛みながらプレーするのは、相手に対して失礼にあたりますよ」と。

    本当のことを言うと、私はもっと絶望的な推測をしている。ゴルフ・ネットワークで放送されたザ・プレジデントツカップの中継中、頻繁に石川遼を起用したロッテのグリーン・ガムのCMが流されていたのである。爽やかな遼君が、試合中にガムを噛む、というCMである。

    なんの裏づけもないし、証拠があるわけでもない。しかし、こう思うのだ。それが、スポンサーなのか広告代理店なのかそれは分らない。だが「ザ・プレジデンツカップの試合でガムを噛んでプレーしてもらえないだろうか。噛んでもらえれば、1試合につき○○万円、CM契約料とは別にお支払いします」と頼み込んだ人物がいるのではないかと。あるいは、石川サイドから逆にそのような提案がなされたのかもしれない。その辺は部外者の私には全く分らない。

  だけれども、曇天の下でのプレーでもはずさなかったサングラスにも同様の疑念を私は感じている。ガムもサングラスも、いつもの石川遼らしくなく、とても不自然に見えたからだ。

  この不世出の、爽やかなゴルフ・プレーヤーが、「大人の思惑」に振り回されることなく、世界有数のトップ・プレーヤーに育つことを、また人間としても成熟した存在となることを心の底から祈る。ペリーを破った直後、グレッグ・ノーマンに「よく頑張ったね」と肩を抱かれてねぎらわれ、嬉しそうに満面の笑みを浮かべている18歳の石川遼の姿を見ていると、強く、そう願わずにはいられない。

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