「サブウェイ123 激突」と「強欲資本主義」
先日、映画「サブウェイ123 激突」(トニー・スコット監督)を観た。映画そのものは特筆すべきものは特になし。地下鉄を乗っ取る犯人役をジョン・トラボルタが、運行司令室の職員をデンゼル・ワシントンが演じていて、そのふたりの熱演ぶりは、まあ、特記しておいていいかもしれない。が、まあその程度なのである。
話は実に単純で、あるグループが地下鉄を乗っ取り、警察がその一味を追い詰める、というだけのもの。単純といえばこれほど単純な展開はない。その中で唯一面白かったのが以下のシーン。
地下鉄を乗っ取った一味の企みは、「地下鉄乗っ取り事件」で株価を急落させ、金(ゴールド)を暴騰させることによって、瞬時に大金を手にすること。実に今時の知能犯なのだが、事件の冒頭ではまだ、捜査陣はその一味の素性をつかむことができない。
捜査が進展して、やっと犯人たちのプロフィールがおぼろに見えてきたときに、捜査陣にひらめきが走る。「犯人はウォールストリート・ガイズだ!」と叫ぶのである。これを聞いて、私はほほう、と思った。
「ウォールストリート・ガイズだ!」は、訳してみれば「証券業界の野郎たちだ!」くらいになるだろうか。つまり、このろくでもない事件の犯人は証券業界の野郎どもだ、とスクリーンの上で捜査陣は大見得を切るのである。
私がほほうと思ったのは、現在のアメリカ合衆国では、「証券業界の野郎ども」はすっかり「悪者」のカテゴリーに分別されてしまっており、そのことに違和感を抱く人々は決して多くないのだなと実感したからである。それはまるで、9.11事件以降のイスラム原理主義者(イスラム教徒)のようでもある。
思えば、1987年に公開された「ウォール街」(オリバー・ストーン監督)では、監督の意図はともかく、証券マンが実に魅了的に描かれていた。この映画をNYで観た私はチャーリー・シーン演じる証券マンのファッションがかっこいいと思い、すぐにズボン吊りを買いに走り、しばらくそれをして出社していたおっちょこちょいでもあったが、ウォールストリート・ガイズがそれほど、かっこよく描かれていたのである。
それから二十数年。ウォールストリート・ガイズは地に落ちた。このたびの金融危機の元凶となったのだから、無理もないが、まるで「悪の象徴」のようでもある。
が、それもむべなるかなと思ったのは、文春新書の「強欲資本主義 ウォール街の自爆」(神谷秀樹著)に記された彼らの所業を知ったからである。こういうときのために自業自得という言葉はあるのではないかと思わざるをえない。何度も書いたことだが、今回の金融危機のすべての源は、アメリカ合衆国の金融業界に端を発する、「楽をして大金を儲けることは良いことである」という信憑がグローバルに瀰漫したからであると思っている。
同書には、米国金融関係者のこんな言葉が引用されている。
<「・・・・・ウォール街がぶち壊している産業はホテルだけではないよ。今すべての産業で同じことが起こっている。投資といっても、所詮は安く買い、出来るだけ早く高値で売るために使っている金だ。彼らには将来を築くための投資を十分にする気持ちなどないよ。買い叩いて、コストを削って見かけのキャッシュフローを増やして売り払うことしか頭にない。しかもほとんど他人の金でそれをやる」>(P120)
ウォールストリートで日本人として20年以上金融ビジネスに携わった人物の見聞だけに、書かれていることに説得力がある。最近のウォールストリートのモラル・ハザードぶりには目を覆うものがあるとも書く。グローバル・スタンダードの美名のもとに、その価値観が日本にも流通しようとするだろうが、日本人は絶対にこのモラル・ハザードに侵されてはならぬ、と神谷氏は力説する。
そのモラル・ハザードぶりを、こんな風に、一口キャッチフレーズ風にして紹介している。
<曰く「借りた金で今日を愉しむ」、「借りた金で投機する」、「貸せる金は融資基準をいくら下げても貸し込め。そのローンを束にして売ってしまえば、不良化しても自分の損にはならないから」、「ノンリコースで借りた金は、返せなくなったら担保物件の鍵を渡せば終わり。値上がり益は僕のもの、値下がり損は君のもの」、「連帯保証など怖くない。眠り口銭(手数料)が入ってくる」といったものである。>(P155)
ウォールストリート・ガイズの悪辣振りをもっと知りたい方はどうぞ、同書をご覧いただきたい。
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